不正・事件・犯罪 週刊現代
犯罪史を揺るがした「ふたつの裁判」の深い闇〜無実を疑う声は後を絶たず…
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文/堀川惠子(ジャーナリスト)

執念の捜査の末の「冤罪」

今年4月、北関東の女児殺害事件の裁判員裁判で、耳を疑う報道に接した。有罪の決め手となる物証が皆無で、被告人の「自白(後に否認)」の信ぴょう性が争点となった事件。

法廷では7時間分の取調べ録画が流された。信ぴょう性が争われるのだから当然、全録画かと思いきや、これが検察側の選んだ部分だけ。裁判員の判断に重要な影響を与える「最初の自白」はすっぽり抜け落ちていたそうで、裁判員ですら「やるなら全部(録画を)徹底すべき」と取材に応じていた。

浜田寿美男著『もうひとつの「帝銀事件」』を読めば、ことの重大さがよく分かる。帝銀事件は、戦後間もない昭和23年、東京都内の銀行で行員ら16人が毒を飲まされ、大金が盗まれた事件だ。

画家の平沢貞通氏が逮捕されたが物証はなく、初期の「自白」だけが証拠とされた。無実を疑う声は後を絶たず、死刑確定後も歴代の法務大臣は誰ひとり執行命令を出さず、平沢氏は無実を訴えながら95歳で獄死した。

難事件が解決すると、よく「執念の捜査が実った」という。だが著者は「明確な証拠があれば執念は必要ない」と言い、執念の捜査には「証拠なき確信」が働く危険性が大きいと指摘する。