政治政策 週刊現代
岸信介は革命家・北一輝にここまで傾倒していた〜「国家改造」をめぐる思想の融合
「青春の血で日本史を書くんだ」

まさかと思うほどの薄いの存在

北一輝:2・26事件の理論的指導者として逮捕され銃殺刑に処された(Photo:wikipediaより)

週末、目黒不動尊(天台宗・瀧泉寺)に行った。ちょっと見たいものがあったからだ。

東急目黒線の駅から徒歩15分。初夏の陽射しを浴びて、なだらかな坂を上り下りしながら私が考えたのは、明治生まれの二人の男のことだった。

北一輝(1883~1937年)と岸信介(1896~1987年)。北は2・26事件の首謀者として処刑された革命家だ。岸は言うまでもなく元首相で、安倍晋三首相の祖父でもある。

岸は北より13歳若い。北とは生い立ちも性格もちがう。別世界の人間だ。似ている点を強いて挙げるとすれば、その尋常ならざる能力のために北が「魔王」と呼ばれ、岸が「昭和の妖怪」と呼ばれて、周囲から恐れられたことぐらいだろう。

目黒不動は徳川三代将軍・家光ゆかりの寺である。入口の案内板によると、サツマイモで有名な青木昆陽の墓もあるらしい。

でも、私が見たいと思っているのはそれではない。北一輝の碑と墓だ。なのに案内板には記載がない。寺務員に尋ねると「お墓ならありますが」と言って、境内から百数十m離れた道路沿の墓地を教えてくれた。

墓地の奥の方に北の墓はあった。正面に「北一輝先生之墓」とあり、側面に夫人と長男の名も刻まれていた。それにしても拍子抜けするほど普通の墓である。「魔王」を連想させる部分はない。逆徒の縁者の暮らしは苦しく、贅沢な墓を作る余裕がなかったのか。それとも世間への遠慮がそうさせたのか。

数m先には、北のかつての盟友で「大アジア主義」を唱えた大川周明(東京裁判で東条英機の頭を叩いた人だ)の墓もあった。こちらも戦前・戦中の彼の華々しさに比べると、忘れられたように地味な墓だった。

さて次は北の碑を探さなければならない。墓地の管理人らしきおじさんに聞くとこの墓地にはないと言う。「どこにあるか知ってそうな人に聞いてくるから木陰で待っててください」と彼は言った。私は「そこまでしてもらわなくとも……」と言ったのだが、親切なおじさんは自転車でさっさと行ってしまった。

数分しておじさんは帰ってきた。気の毒そうな顔で「寺の人にも聞いたんだけど、やっぱり北一輝先生の碑は知らないということでした」と言った。

念のため、私も寺の境内をひと回りしてみたが、見当たらない。引き揚げる前にダメを押すつもりで大本堂にいた寺務員の男性に聞いてみた。すると「それだったら、この大本堂の下の斜面にありますよ」という意外な返事が戻ってきた。

行ってみると、あった。青木昆陽の巨大な碑の隣の、奥まったところにあったから気づかなかったのだ。考えてみれば寺の一部の人しか知らなかったのも無理はない。歴史好きならともかく、一般人にとって北はもう忘れられた存在なのだ。

私は高さ4m前後の碑に近づき、目を凝らした。大川周明の「歴史は北一輝君を革命家として伝へるであらう」で始まる墓碑銘がびっしり刻まれていた。そのなかで大川は、北が「世の常の革命家」ではなく、「専ら其門を叩く一個半個の説得に心を籠めた」と述べていた。

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