格闘技
モハメド・アリvsアントニオ猪木「40年間語られなかった、ある真実」【後編】『ワールドプロレスリング』初代プロデューサーの回想
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日本アマチュアレスリング協会の八田一朗会長から、「アリが日本の格闘家と戦いたがっている」と聞いた『ワールドプロレスリング』の初代プロデューサー・永里高平は、アリと高見山を戦わせるプランを思いつき、実現に向けて動き出す。

それがなぜ、「アリ猪木戦」となってしまったのか。知られざる秘話をここに記す――。(前編はこちらから

「でかした、ザト。進めろ」

「アリと高見山ですか――確かに面白いアイデアですが、さすがに、実現は難しいと思ったんじゃないですか?」

筆者が訊くと、永里は意外にもかぶりを振った。

「いけると思った。勝算はあった。まず、アリが高見山にいい印象を持っていたし、確か、同じ頃に栃錦(第九代春日野親方)が理事長になったんじゃなかったかな」

記憶は正確だった。この前年の1974年2月に横綱栃錦こと春日野清隆が、武蔵川親方の後継として新理事長に就任している。

「大相撲ダイジェスト(のプロデューサーを)長い間やっていたから力士とはツーカーで、特に栃錦とは齢も近かったからよく酒を飲んでいたし、なんでも話せる間柄だった。それに、理事長に就任したばかりだから、きっと目新しいことをしようとするはずだと」

確かに1988年まで14年間続いた理事長時代の春日野清隆は、

「経営のスマート化」
「両国新国技館への移転」
「相撲茶屋制度の見直し」

等々、その後の相撲人気につながる新たな施策を打ち出している。「アリ対高見山戦」の可能性はあると踏んだ永里の慧眼が判る。

「それに、高見山なら、最終的にはオーケーが出るだろうって思ってた」
「どうしてですか」
「日本人じゃないからさ」

そのプランを持って、永里はまず常務の三浦甲子二(のちテレビ朝日専務取締役)のところに行った。三浦は大喜びだったという。

「でかしたザト、よくやった。その話進めろ」