格闘技
モハメド・アリvsアントニオ猪木 40年目の「ある真実」~猪木戦より先に浮上した、幻の異種格闘技構想
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事務的だが、実に興味深い挿話

1976年6月26日に行われた、モハメド・アリvsアントニオ猪木「世紀の一戦」。実現に至るまでのプロセスは、様々な証言によって明らかになっているが、アリ猪木戦よりも前に、ある格闘家とアリを戦わせる幻の構想があったことをご存じだろうか。

知られざる格闘技界の裏面史を、あるテレビマンの回顧をもとに紐解いていく――。

今月3日、プロボクシング元統一世界ヘビー級王者のモハメド・アリが入院先の米アリゾナ州の病院で亡くなった。享年74。

ローマ五輪金メダリストの実績を引っさげプロ転向。64年ソニー・リストンを破り、23歳の若さで世界ヘビー級王座を奪取。

「蝶のように舞い、蜂のように刺す」

の格言通り、華麗なフットワークと的確な左のリードブロウ、鋭い右のカウンターで強敵をなぎ倒し、名勝負の山を築き上げた稀代の天才児は、大味な殴り合いのヘビー級ボクシングを根底から変質させた革命児でもある。

そして、リング外においても革命児であった彼は、プロ転向直後、イスラム教に改宗し、カシアス・クレイから「モハメド・アリ」に改名する。公民権運動に参加したかと思えば、ベトナム戦争の兵役を拒否した彼は、世界王座とプロライセンスを剥奪され、三年七カ月もの間リングから遠ざかることを余儀なくされた。

しかし、その行動と思想は、全世界に大きな波紋を投げかけた。

「ボクシングを超越した人物」
「最もカリスマ的なスポーツ選手」(いずれもニューヨーク・タイムズ電子版)

といった称賛にもそれは現れている。

そんな20世紀最大のスーパースターは、日本でも2度試合を行っている。1度目は1973年4月1日、マック・フォスターとのノンタイトル戦。そして2度目が1976年6月26日に行われた、プロレスラー・アントニオ猪木との異種格闘技戦である。つまり、今年はこの「世紀のスーパーファイト」から40周年という節目の年なのだ。

「格闘技世界一決定戦」と銘打たれたアリ対猪木戦については、今や多くの識者や関係者がその内幕を語り、実現に至った経緯まで詳らかにされている。その語り部の最たる人物は、アントニオ猪木の腹心であった、元新日本プロレス営業本部長の新間寿である。

当事者ならではの、臨場感あふれる描写と、強い説得力を有する一連の証言は、彼が持つ意欲と野心、卓抜した交渉能力を示すもので、アリ対猪木戦を詳述する上で欠かせない「正史」として、多くのファンに認知されている。

しかし、筆者はそれとは別の「外史」とも呼ぶべき、「アリ対猪木戦」実現までの道のりを聞いていた。劇的でドラマ性に富んだ新間証言とは違う、事務的かつすげないいきさつではあるが、それは実に興味深い挿話である。