ライフ

「なんで勉強しなきゃいけないの?」と子供に聞かれたら、こう答えよ

瀧本 哲史

「たったひとりの1年半」が成し遂げた偉業

いったいニュートンは、どこで生まれてどんなふうに育ったのか。

ニュートンがイギリスの小さな農村に生まれたのは、1642年のクリスマス。日本でいうと江戸時代、三代将軍徳川家光の時代です。

意外にも生まれながらの大天才、というわけではありません。中学に入ったころの成績は、学年で下から2番目。しばらくすると勉強するようになるのですが、その理由も「ケンカした友だちを見返したかったから」。いわゆる優等生とは違いますね。

こうして「友だちを見返すため」に猛勉強したニュートンは、ケンブリッジ大学のトリニティカレッジに進学します。彼の才能が本格的に開花するのは、大学生になってからなのです。

ニュートンが入学した当時、ケンブリッジ大学では、哲学を中心に授業が組まれていました。古代ギリシャのプラトンやアリストテレスなど、ニュートンの時代から200年近く前に生まれた、古典哲学を学ぶわけです。

きっと最初のうちはおもしろかったのでしょう。当時ニュートンがとっていたノートを見ると、哲学に関するメモが、びっしりと書き残されています。

しかし、その哲学ノートは途中でとぎれてしまいます。ニュートンは大きな悩みを抱えていました。自分が取り組む学問は、これでいいのだろうか。ほんとうに哲学だけで、世界を知ることができるのだろうか。

そして哲学ノートに数十ページ分の空白をあけて、ニュートンは突如こんな言葉を書き記すのです。

「わたしはプラトンの友であり、アリストテレスの友である。しかし『真理』は、もっとすばらしい友なのだ」

 

ここからニュートンは、哲学ノートにこれから自分が研究するべきテーマを列挙していきます。「地球」「物質」「時間と永遠」「空気」など、そこに挙げられたテーマは哲学というより、現代でいう科学に近いものばかりでした。

もし、ニュートンがそのまま哲学の勉強にふけっていたら、万有引力の法則も、微積分学というあたらしい数学も、その他「ニュートン力学」と呼ばれる力学体系も、成立していなかったでしょう。

哲学のすばらしさは認めるけれど、哲学だけでは「真理」にたどり着けない。悩みに悩んだニュートンは、ここで数学という「あたらしい真理」に大きく舵を切ったのです。

そんな矢先、ニュートンに大きな試練が降りかかります。

1665年、イギリスの都市ではペストという伝染病が大流行し、それはニュートンがいたケンブリッジ大学も例外ではありませんでした。「黒死病」とも呼ばれるペストは、14世紀にヨーロッパじゅうで大流行し、当時全ヨーロッパの3分の1にあたる人々が亡くなった恐ろしい病気です。このときも大学は閉鎖(休校)に追い込まれ、ニュートンは故郷の田舎町に戻ることになりました。そしてペストの猛威がおさまるまでの約1年半、彼はなにもない田舎町で過ごすことになったのです。

先生もいなければ、仲間もいない。図書館も研究施設もない。たとえるなら、練習場所を奪われたスポーツ選手のような状態です。もっと研究したい、真理にたどり着きたい、と思っていたニュートンにとっては、絶体絶命のピンチだったことでしょう。

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