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若者の股間とハートを鷲づかみ!
日本初の青年週刊誌「平凡パンチ」を語ろう

石川次郎×松任谷正隆×杉作J太郎
平凡パンチ/'64年に平凡出版(現・マガジンハウス)から創刊された、日本初となる青年週刊誌。週刊誌として初めて女性グラビアを掲載したほか、時代を先取りした車やファッションの情報を発信、若者たちに衝撃を与えた。'88年10月、惜しまれつつ休刊となった。 斬新だった大橋歩の表紙イラスト〔PHOTO〕amazonより

戦後復興の象徴、東京五輪が開催された'64年、『平凡パンチ』は産声をあげた—。日本が一番元気だったあの時代、数々の伝説がこの一冊の雑誌から生まれた。

いしかわ・じろう / '41年東京都生まれ。'67年平凡出版に入社し、『平凡パンチ』の編集を担当。その後『POPEYE』『BRUTUS』などの編集長を歴任
まつとうや・まさたか / '51年東京都生まれ。音楽プロデューサー。松任谷由美をはじめ、多くのアーティストを手がける。モータージャーナリストの一面も持つ
すぎさく・じぇいたろう / '61年愛媛県生まれ。'82年漫画家デビューし『ガロ』などで活動。『平凡パンチ』の編集に携わったほか、映画監督や俳優としても活躍

過激グラビアの衝撃

松任谷 『パンチ』のグラビアって、いま見てもすごくエッチだけど、どこか上品ですよね。

石川 松任谷さんが読み始めたのはいつ頃ですか。

松任谷 僕が中学校に上がった頃ですから、創刊('64年4月)してすぐだと思います。毎週、父が買ってきたのをこっそり読んでました。当時は1枚だけ外国人ヌードの折り込みピンナップが入っていて、僕はそれを切り取り、机の引き出しに隠していたんです。ところが、修学旅行から帰ると、全部なくなっていた(笑)。

杉作 お父さんにはバレていたわけですね。次郎さんは創刊からパンチに関わっていたんですか。

石川 創刊当時、僕は旅行会社に勤めていました。初代編集長の清水達夫さんとは、僕が高校生の頃から面識があって、'67年にパンチに加わったんです。そのあたりからグラビアが過激になっていきましたね。

杉作 ちょうどライバル誌の『週刊プレイボーイ』が'66年に創刊されて、競争が激しくなった頃です。

石川 向こうは篠山紀信さんを起用したんです。篠山さんはすでに「巨匠」でしたから、その威光で女の子を脱がしていた。

杉作 篠山さんは当時のアイドルブームに乗った『GORO』の「激写シリーズ」も印象的でした。一方、パンチは一貫して大人っぽい女性にこだわった。日活ロマンポルノで活躍していた原悦子さんのグラビアをやったのもパンチだけです。