政治政策 政局 週刊現代 日本
「日本会議」はこの男を中心に動いていた~「日青協」の中枢にいる”絶対的カリスマ”の正体
病の信徒を救済、直立不動のミーティング…
〔PHOTO〕gettyimages

背後にいるのは誰か?

同じ本を4週連続で採り上げるのはいかがなものか。と言われそうだが、今回も菅野完さんの『日本会議の研究』(扶桑社新書)について書く。それだけの価値のある本だからだ。

前回、私は日本会議の問題点は組織の構造が二重、三重になっていて、核心部が外部の目にさらされないことだと言った。

一見、日本会議は〈なんとなく保守っぽい〉各種教団・各種団体の寄り合いにすぎない。が、肝心の事務方を担うのは日本青年協議会(日青協)である。その日青協の裏の顔は、生長の家の創始者・谷口雅春に心酔するウルトラ宗教右翼である。

彼らの心を虜にしているのは、谷口の「一切は天皇より出でて天皇に帰るなり」という皇国思想と明治憲法復元論である。

こんなアナクロニズムが人々の情念をなぜ掻き立てるのか? それが信仰の力というものなのかと思っていたら、菅野さんはそれだけではないと言う。

〈 誰かいるはずだ。谷口雅春が彼らの前から去った後も運動に参画する多数の人々の情熱を維持し続け、運動に従事する人々の胸を熱くし続ける、谷口雅春に匹敵するようなカリスマ性を持った人物が絶対いるはずだ 〉

それは誰か? 日本会議の事務総長・椛島有三氏か。首相ブレーンの伊藤哲夫氏か……みんなちがうと言って菅野さんは安東巌氏の名を挙げる。

その名は私の10年前の記憶にあった。当時、私は村上正邦さん(元労相)の聞き書きをしていた。村上さんは生長の家を母体に参院議員になり、日本会議の礎を築いた人である。

村上さんは日本会議誕生(1997年)と密接に関わる生長の家の路線転換を説明してくれた。1985年、谷口が他界した後、娘婿の清超が継いだ。

すると、三代目候補の雅宣氏(現総裁)の主導権が強くなり、彼は従来の教義の解釈を変えていった。村上さんの回想。

「雅宣さんは明治憲法復元どころか改憲も主張しなくなった。挙句の果てにあの戦争は侵略戦争だったから日本がアジア諸国に謝罪するのは当然とまで言い、雅春先生の政治に関わりのある著書を絶版にしたんです」

この転換に谷口の薫陶を受けた活動家らが反発した。椛島、伊藤、高橋史朗(後の「新しい歴史教科書をつくる会」副会長)、衛藤晟一(後の参院議員で安倍首相側近)の各氏らだ。

彼らは教団から排除されたり、自ら離脱したりした。そして政治や教育や国民運動などの各分野で谷口の教えに従った独自の活動を始めることになる。

「ただ」と村上さんは一息おいて言った。

「一人だけ雅宣さんが切れなかった人がいた。若手のリーダー格だった安東巌さんです。彼は病に苦しむ多くの人を信仰の力で救い、人望も厚かった。それに雅宣さんから与えられたいろんな課題も見事にこなした。だから、安東さんだけは今も教団に残って神奈川県強化部長の重職を務めてます」

この続きは、プレミアム会員になるとご覧いただけます。
現代ビジネスプレミアム会員になれば、
過去の記事がすべて読み放題!
無料1ヶ月お試しキャンペーン実施中
すでに会員の方はこちら