エンタメ 週刊現代
小池真理子さんの「わが人生最高の10冊」
~直木賞作家を惹きつける“エロス”と“倦怠”の物語

三島由紀夫は「原点」、坂口安吾は「バイブル」…
〔PHOTO〕iStock

カッコいいことを言いたくて

父はいわゆる文学青年で、ロシア文学やドイツ文学に傾倒していました。自宅には天井まである大きな書棚が据えつけられ、たくさんの蔵書がありました。そんな環境だったので、私は文字を覚え始めた頃から、書棚の本の背表紙を声に出して読んでいたんです。「ちゃたれいふじんのこいびと」とか(笑)。

中学生になると、父の書棚からヘルマン・ヘッセのシリーズや、それこそ『チャタレイ夫人の恋人』を持ち出して読んでいました。それを父に見つかった時は、「まだ早い」と怒られましたね。

けれども、本格的に小説を読み出したのは高校に入ってからだと思います。ちょうど'70年安保の時代でした。当時流行していた柴田翔や高橋和巳、倉橋由美子、サルトル、カミュ……。影響を受けた作家に、たくさん出会ったのが、この頃です。

当時の学生たちの会話の中には、いつも本があったように思います。誰の部屋に行っても、書棚にはいまあげたような作家の作品が並んでいて、そうした時代をリードする作品を読んでいないと恥ずかしい、という感覚のあった時代じゃないでしょうか。

例えば、三島由紀夫の『春の雪』を読んで、どう感じたかを何時間でもしゃべり合う。その場で少しでもカッコいいことを言いたいがために、また本を読む。誰かが文章に書いている批評の受け売りでも、受け売りとバレたくない。そういうプライドがみんなにあったように思います。

三島は、私を作家にしてくれた原点のような人。ただ、私には三島が物語を構築する力が優れている書き手だとは思えないんですね。

彼は物語を作る以前に、自分の内面を表現しようというエネルギーのほうが強かったのではないか。だから、いわゆる起承転結がある「物語」を作ることは二の次だったのではないかと思うんです。

けれども、1位にあげた『春の雪』に始まる「豊饒の海」シリーズは別格。見事な大長編に仕上がっています。

百年近い時間の中で、登場人物たちは輪廻転生を繰り返す。語り部は、後世で弁護士となる本多という男。彼は若くして亡くなった友人と同じ、左脇腹に三つの黒子がある少年に出会う。この生まれ変わりの男児と出会うのは第4巻『天人五衰』ですが、第1巻の『春の雪』に、そのための伏線が見事に張られているんです。

2位には三島の中編で、『獣の戯れ』をあげました。題材は通俗的で、どこにでも転がっているような姦通と破綻の物語。けれども三島は、三角関係に陥り、殺人という罪に堕ちていく青年と夫婦の関係を、壮大な悲劇に高めて表現しています。

人間が心の底に押し隠した感情

3位の『青鬼の褌を洗う女』は、ある意味、私のバイブル的な作品です。学生時代、読むなら太宰治か坂口安吾かという議論があって、8割方の人は太宰派だったんですが、私はその頃から圧倒的に安吾派でした。

この物語の舞台は戦中から戦後にかけてですが、主人公・サチ子は戦争が始まろうと何だろうと、男と遊んで、おいしいものを食べて、セックスをして、ということにしか興味がない。今、この瞬間が幸せならいいんだというタイプです。

空襲で街を焼く焼夷弾が降り注ぐさまを、彼女は壮観だと感嘆し、生き残ることだけを考える状況に興奮する。

自らも戦争を経験している安吾は、何ものにも屈せず、個人として自由に生きるサチ子の強さを通して、声高に理想を叫ぶのではない反戦の形を伝えていると思うのです。

波瀾万丈な人生を送るサチ子はラストシーンで、愛人である老人がまどろむ横で山鳥の声を聴くんですが、その退屈さに癒やされている描写が、またいいんですよ。

5位にあげたモラヴィアを読み出したのは20代後半から。彼は政治的発言も多く、作家として骨太な部分がある一方で、ブルジョワ階級が持つ独特の倦怠感を好んで描きます。『倦怠』の主人公は、まさにその典型。惚れた女の子に振り回され、嫉妬に狂う間だけは、彼の中に巣くっている倦怠感が薄れてく。

私自身が倦怠感に悩まされている自覚はないんですが、「けだるさ」という表現は好きですね。たとえば今回、映画化された『二重生活』でも、登場人物はみな人には言えない寂しさや虚無感、そして倦怠感を抱いています。

主人公の大学院生は、見知らぬ人を尾行するという妖しい行為を通じて倦怠感を拭おうとし、自分を満たそうとする。人間が心の底に押し隠した感情を描いた物語が、ずっと私を惹きつけてきたのかもしれません。

(構成/大西展子)

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こいけ・まりこ/'52年東京生まれ。成蹊大学文学部卒。'96年『恋』で直木賞受賞のほか、2013年『沈黙のひと』で吉川英治文学賞など受賞歴多数。『二重生活』が映画化され、6月25日から全国公開