ライフ 国家・民族
記録に残っている日本最古のクリスマス〜ごく初期に付け加えられた日本テイストとは?
イエズス会士と日本人。1600年ごろ〔photo〕wikipedia

クリスマスと日本人の不思議な関係を解き明かす連載第4回。今回は、キリスト教が日本に上陸した当初の「降誕祭」はいかなるものだったのか、ホリイ博士が歴史をずんずんさかのぼります。(→第1回はこちら

文/堀井憲一郎
(コラムニスト)

ザビエルの日本滞在は2年ちょっと

フランシスコ・ザビエルが、強い信念を抱いて鹿児島に到着したのは1549年の夏のことである。

イエズス会のアジア進出拠点となっていたインドのゴアから、ポルトガル領のマラッカを経て、このアジアの東の端っこの島国へとやってきた。

鹿児島に滞在して、翌1550年には長崎の平戸へ移り、そのあと山口を経て、堺から京都へと入った。「日本国王」に国内でのキリスト教布教の許しを得ようとしたのである。

ただ天皇(後奈良天皇)も将軍(足利義輝)も会ってくれなかった。しかも日本国全体を支配しているようにはおもえなかった。群雄割拠の時代であり、日本国の王というのは(将軍にしても天皇にしても)名目だけであり、広く権力をいきわたらせているわけではなかった。

そのためザビエルは西国の大きな権力者であった周防(山口)の大内義隆のもとで布教することにした。また豊後(大分)の大友義鎮(宗麟)の招きを受け、大分にも赴いた。

しかし来日3年目の1551年の11月にはザビエルは日本を離れる。

インドのゴアへ戻り、そこから中国への布教を志す。しかし中国本土への上陸は叶わず、上川島という島(マカオの西方、広東省の島。南シナ海の北端に位置する)でひとり死んでしまった。1552年の12月のことである。

フランシスコ・ザビエルの日本滞在は2年と少しでしかなかった。

そののち、一時ではあるが日本にキリスト教集団を形成したのは、ザビエルに残された形の同行者パードレ・コスモ・デ・トルレスの尽力によるものである。トルレス神父ですね。ザビエルにくらべて、あまりに名が知られていない。

キリスト教は数十年ののち日本国内から徹底的に締め出されるわけで、やがて消え去る思想を広めたトルレス神父については、あまり強い記憶が残らなかったのかもしれない。