企業・経営 メディア・マスコミ エンタメ ドイツ
トイレで連れション中に人事発令!? ソニーのトップシークレットを知り尽くした新人時代の特異な体験談
島地勝彦×植山周一郎【第3回】

撮影:立木義浩

第2回【トランプの金髪にはこんな狙いがあった!

シマジ どうして周ちゃんがこんなに面白い人間になったのか、もう少し詳しく子供のころからの生い立ちを教えてくれない。お父さんはなにをやっていた方だったんですか。

植山 親父は本州製紙の普通のサラリーマンでした。ですから親父の仕事の関係で、小学校の1年生までは静岡県富士市にいました。そのあと親父の転勤で中津川に移り、中学3年の1学期から東京に来たの。

シマジ 田舎の中学から転校してきてすぐに高校受験だったんだ。よく西高に入れたね。

植山 田舎ではずっと学年で3番目くらいだったのね。ところが東京にきたら一気に30番に落っこちた。その頃のおれはまだガッツがあったんだね。もう悔しくて悔しくて、「よし、頑張る!」と誓って猛勉強して、中学を卒業するころにはトップ3に入っていた。それで西高に入学できたんですよ。

シマジ いやいや、いまでも十分ガッツはあるよ。

植山 でも、いま思い出してもけっこう大変でしたよ。

シマジ 西高時代に1年間、アメリカに留学したんだよね。

植山 そうです。シカゴの近くの田舎町「サンドイッチ」にね。

シマジ それで西高から一橋大学に入ったんだよね。

植山 そう。一橋に入って、大学3年生が終わったとき、また1年間休学してドイツに行きました。

シマジ ドイツに留学したの。

植山 いやいや、留学じゃなくて、ドイツの出版社に働きに行ったの。その出版社が『世界企業年鑑』というのを出していたわけ。日本でいえば、ダイヤモンドとか東洋経済みたいなところかな。その『世界企業年鑑』には、欧米の企業は全部入っているんだけど、日本の企業は1社も入っていなかった。時代は1967年だったかな。

ちょうどスイスのIOSという投資会社が日本株を買いだした時期で、要するに、日本の企業が世界的に注目されはじめたところだったのね。その割に日本に関する情報がないもんだから、どんな情報でも欲しいと。そこでぼくは当時の大蔵省が出していた「有価証券報告書」を持って行って、日本のトップ20社くらいを分析するお手伝いを1年間やったわけ。向こうの書式に合うように数字を出してあげたりしてね。