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こんな体位、ありえない!? 江戸庶民が愛した「豆判春画」、その奥深き世界
なんと大らかな性風俗
老婆との行為の後。老婆は満足そうであるが、男は吐いている

昨年より続く「春画ブーム」。永青文庫で開催された春画展には、21万人もの人が訪れた。近年、春画について解説する本が多く出版されているが、「豆判春画」だけを紹介する豆判春画 和気満堂コレクションが、異色の一冊として注目を集めている。(amazonはこちらから

豆判春画とはなにか。その一部を見ながら、執筆者で大和文華館館長の浅野秀剛氏の解説を聞こう。

「豆判春画」をご存じですか?

「豆判春画」とは、小さな春画のことである。江戸時代後期ころから盛んに作られるようになった。大名から庶民にまで親しまれ、新年には、その年の暦を記した豆判春画を交換し合うこともあった。

「豆判春画」という用語は、近年作られたものと思う。豆判春画の歴史を述べる前に、春画の歴史を述べなければならないが、それはちょっと大変なので、日本の春画は、江戸時代に浮世絵の盛行と共に展開し、絵画(肉筆画)も版画も大量に作られたということで勘弁してほしい。

したがって、豆判春画は浮世絵版画の一部、浮世絵の春画の一部なのである。

ただし、販売用の豆判春画が制作されたのは、おそらく寛政期(1789~1801年)以降と思われる。狭義では、寛政後期と推定されるものを時々見出すことができるが、そのほとんどはバラバラのもので、豆判春画の揃い物を確認できるのは文化期(1804~18年)以降である。

大英博物館に、文化8年頃から文政9年頃の春画の大小の揃い物を中心に、109枚の豆判を貼り込んだ画帖(『増衣帖』と題されている)が所蔵されているのがその早いものであろう。『増衣帖』にあるものの大半が大小であることは重要である。豆判春画が誕生する契機となったのが、私家版の春画の大小と推定されるからである。

幕府公認の暦とは別に、その年の大の月と小の月を文字・記号・絵などで表した私的な正月用の配り物を大小といった。趣味人によるカレンダー入り年賀状といったもので、摺り物の一種である。

古い大小の遺品は18世紀の初めのものが現存するが、春画の大小がいつ頃から制作されたのかは分からない。しかし、天明期(1781~89年)のものを中心に、安永3年(1774)から寛政2年(1790)の春画の大小の貼り込み帖を2種確認しているので、遅くとも安永3年には制作され、天明期にはかなりの数が制作されたのは事実である。

編集部注:春画は芸術ですが、一部不快な思いをされる方がいらっしゃるかもしれません。次ページ以降をご覧になる際は、ご注意ください。