大金持ちへの最短ルート!?「プログラミング教育」はもはや不可欠。しかし拙速な「必修化」はキケンだ

できるかできないかで世界が変わる
清水 亮

そして3つめの理由として、自分専用のコンピュータがあったことが考えられます。

ちょっと想像しにくいことかもしれませんが、筆者が少年だった1980年代当時、パーソナルコンピュータ、いわゆるパソコンは贅沢品でした。しかし自分専用のパソコンを持っている少年は、むしろ沢山いた。パソコンといえば、少年が使うのが当たり前だった、とまで言えるかもしれません。

というのも当時のパソコンは、ビジネスというより、趣味や娯楽などに該当する存在として捉えられていました。もちろんそれぞれの家庭の事情があるので一律にはいえませんが、誕生日やクリスマスプレゼントとしてパソコンをもらった人がクラスに1人や2人いても、さして珍しくもなかったのです。

しかし現代においてコンピュータは家電にも近い存在となり、それこそ一家に一台、なくてはならないものになりました。しかもコンピュータを通じて接触するインターネット上のWEBサイトには、教育上好ましくないものが数多くあるため、ほとんどの家庭で、みんなの共有のものとされ、利用には制限がつきまとう。これではいざ子供がプログラミングを覚えようと思っても、うまくいくのは難しい。

プログラミングは没頭すればするほど上達しますが、一度辞めるとすぐに腕前が落ちる。筆者自身、経営者という立場でいながら、プログラミングを日常的に欠かさず行うようにしているのは、腕をなまらせないためであり、常に新しい知識を吸収するためでもあります。

ともあれ、幸運なことなのかもしれませんが、たまたまこうした条件が揃ったこともあり、一地方都市の勉強嫌いの少年が、プログラミングを学び技術を高め、その世界へと羽ばたくことができたのだと思います。

「教育学部改革」と「プログラミング部」を

そこで筆者は2つの提案したい。

まず1つ目は、先述しましたが、教育学部におけるプログラミング学習の必修化です。教える先生のほうがその価値や魅力を理解していないと、あらゆる試みが失敗してしまうことが明らかだからです。

具体的な方法として、たとえば教育実習の現場で、必須科目である国語・算数・理科・社会の授業内で部分的にプログラミングを取り入れてみてはどうでしょう。

たとえば、算数なら「鶴亀算をプログラミングで解く」、国語なら「品詞を使って文章を書く人工知能を作る」とか。図画工作の授業で「コンピュータを用いてフラクタル(自己相似形)アートを作ってみる」のも面白いですし、音楽で「自分専用の楽器を作ってみる」のもいい。

あらゆる科目とプログラミングが結びつくことを、まず教育実習の段階で先生に理解してもらい、プログラミングを活用した教育手法についての勉強会を開催するのを提案します。

こうした授業を取り入れて、どの学校でもプログラミングに理解を示す先生が数名いる、という状態になるには、早くても数年かかるはず。補助教員のような形で詳しい方に入ってもらい、プログラミングのところだけ手伝ってもらう、という流れも考えられるかもしれません。