写真家・神藏美子さんの「人生最高の10冊」
~聖俗を超えて心に響いた言葉たち

荒木経惟『センチメンタルな旅』より

超越的な存在としての「神」は在る

一番にあげた『センチメンタルな旅』は荒木経惟さんの、1971年に出した私家版がつい最近復刻されたものです。オリジナルは古書価格が100万円になったこともありました。

冒頭で荒木さんは「私の場合 ずーっと私小説になると思います。私小説こそ もっとも写真に近いと思っているからです」と記しています。

内容としては、妻の陽子さんとの新婚旅行の記録なのですが、舟の中で陽子さんが胎児のように眠っている写真から、野原に棺桶が置いてあるかのように見える写真まで、やがて陽子さんを看取ることになる将来の行く末までをも見越したかのように「生と死」が写りこんでいる。

作家の田中小実昌さんが、この写真集がちょうど印刷所の輪転機にかかっていた時、週刊誌の対談のゲストに荒木さんを呼んで「きっと、どうにか、絶対に巨人になる人だ」と予言していました。

その小実昌さんの『アメン父』は、広島の呉市で独立教会を創設した父について書いた本。牧師だったお父さんのことはもちろん、その養父だった祖父や信者さんたちとの関わりが綴られている。

小実昌さんは子供の頃、教会にやってきては「霊に満たされた」と言って失神する人や、言葉にならない祈りの「異言」をポロポロと吐く人たちを目にして育ったそうなんですが、小実昌さん自身には一度も霊的な体験はなく、「ぼくにはポロポロは出ない。むかしも今も同じだ」と書いています。

私はキリスト教者ではないし、これからもそうならないと思う。でも超越的な存在としての「神」は在ると思うし、それがどういうものなのか、またイエスについてもわかりたいと思っています。

小実昌さんには、私の撮った『たまゆら』という女装写真集の中で「修道女」に扮してもらいました。お会いしたのは、打ち合わせと撮影、それに写真をお渡しした3回だけですが、なぜとも言わずその扮装を引き受けてくださって、しかもシスターの姿がとても似合っていました。

小実昌さんが亡くなられた時に、追悼文集で中学からの同級生だった哲学者の方が、小実昌さんが体に障害のある娼婦たちに慕われていたことをあげ、ルオーの「路地裏のキリスト」に喩えていました。世俗を超えたイエスのような人というのは、私も同じ印象です。

聖書にまつわる本が続きますが、若松英輔さんの『イエス伝』は、たまたま私が買って帰ったら、(夫で編集者の)末井(昭)も買っていて、家に同じ本が2冊あります。

遠藤周作をはじめ、いろんな人の書いた聖書やイエスに関する言葉が紹介されていて、私がいちばん惹かれたのは「霊性」というところから聖書やイエスを見なおそうとしているところです。

対象に迫り突き進んでいく姿勢

「霊性」などというと幽霊のようなものを思い浮かべがちですが、明治期まで霊的なものは奇異ではなく日常的に語られていたそうです。霊的なものに心を開かないと聖書はわからないというのは重要なことだと思います。

隠されていた聖書』の千石さんは、いわゆる「イエスの方舟事件」で騒がれた人です。女性信者たちが洗脳されて集団生活していると言われた事件でしたが、その後は福岡に場所を移し、信者さんたちと教会の活動をされていた。末井が千石さんの本を編集したこともあり、二人で集会や教会を何度も訪ねていきました。

「人は相手のことを思うことで幸せになれる」。切り詰めていうとそういうことが平易な口調で語られていて、末井との仲がぎくしゃくしたときにも読み返していました。

ユニークなところもあって、たとえば「悪魔」は美男子で、仕事熱心なセールスマンのような存在だと言い、人の心に入り込むのはどういうときかを説明している。

7位の『素敵なダイナマイトスキャンダル』は、末井の最初の本。

岡山の片田舎から上京し、キャバレーの看板描きなどを経て編集者になるまでが綴られていますが、子供の頃にお母さんがダイナマイト心中した体験を淡々と綴っているのに衝撃を受けました。

最後にあげた『ドキュメンタリーは格闘技である』は映画『ゆきゆきて、神軍』で知られる原一男監督が、先輩である今村昌平監督たちと対談している本です。

「女優と体の関係をもったほうが現場はうまくいく、というのは本当か」など、ここはということにはしつこく食い下がって訊いている。相手がはぐらかそうとしても、逃さない。

この本が非常に面白かったので、原監督の作品を観なおし、対象に迫り突き進んでいく姿勢に再び驚愕しています。

(構成/朝山実)

▼最近読んだ一冊

かみくら・よしこ/東京生まれ。'90年日本写真協会新人賞受賞。私写真集に『たまもの』『たまきはる』。ドコモの「スゴ得」サイト「ニャンだふるライフ」で写真作品を連載中(共著は夫の末井昭)