週刊現代
熊本地震 被災地となった故郷を訪ねて
ああ、こぎゃんこつになってしもぅて…
Image(PHOTO:gettyimages)

風呂で溺れそうになった兄

GW前、郷里の熊本に帰った。5年前に父が死んで以来のことだ。母は父の2年前に逝った。二人の墓はどうなったろう。余震はいつ収まるのだろうか。

熊本空港からまず鹿児島との県境にある水俣に向かった。熊本市内のホテルがどこも満員だったからだ。熊本―新水俣間は新幹線で二十数分(実際には徐行運転のため40分余りかかったが)の距離だ。なので最初の2日間は水俣に宿をとり、そこを拠点に動くことにした。

前から水俣に行きたかったので、いい機会だった。水俣は強い磁力のある町で、日本の近代を映す鏡だ。わが故郷のキーストーンでもあるのだが、その理由は追々明らかにしていく。

水俣で2泊した後、新幹線で熊本駅に着いた。改札口で一つ違いの兄が待っていた。兄は最近、親から継いだ鏡町(熊本市の南約30km)の電器店をたたんだ。そして熊本市郊外の一軒家で長女夫婦と同居している。

兄は若いころから病弱だった。店の負債にも苦しんだ。が、60代半ばになって商売の煩わしさから解放されたのが幸いしたらしく見違えるほど元気になった。地震直前に届いた兄の手紙にこんなくだりがあった。

「こちら熊本に来てからは社交ダンスをしたり、孫たちと遊んだり、本を読んだり、音楽を聴いたり、今までやりたかったことをしています。そして、親父さんやお袋さんが教えたかったことを少しでもわかろうと、今からでも間に合うと思って、日々生活しています」

今からでも間に合う! ホントにその通りだと私は喜んだ。苦労つづきだった兄の人生にも希望の光が差し込んできた。そう思った矢先の震度7である。

4月14日夜9時の前震のとき、兄の長女(つまり私の姪)の夫は風呂に入っていて溺れそうになった。だから今も風呂に入ると動悸がする。それほど激しい揺れだったらしい。

つづく16日未明の本震で屋根瓦のあちこちが壊れた。地震保険の査定を受けると「半壊」と言われた。でも、当面住みつづけることはできそうだ。何より姪の夫婦と息子二人、兄夫婦が無傷だった。不幸中の幸いと言わねばならぬだろう。

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