ウクライナ危機はなぜ終わらないのか〜欧米vsロシア、相容れない「正義」の論理
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文/廣瀬陽子(慶應義塾大学教授)

混乱から2年半が過ぎても、解決の糸口すらない

ウクライナでの混乱が始まってから約2年半が過ぎた。

ウクライナ危機は2013年11月から3つの段階、すなわちユーロマイダン革命(2013年11月〜2014年2月末)、ロシアによるクリミア編入(2014年2月末〜3月末)、ウクライナ東部の混乱(2014年3月末〜)を経て進行してきたが、未だ解決の目処がついていない状況にある。

近年のウクライナが抱える最も深刻な問題である経済状況は、IMFなどの支援や汚職対策などが行われても未だなお改善していない。

ユーロマイダン後に首相を務めてきたアルセニー・ヤツェニュク首相は、2014年7月に辞意を表明した後もなんとか続投していたが、2016年4月14日に辞職したことが象徴するように政権運営も混乱しており、同年4月初旬に世間を騒がせたパナマ文書ではペトロ・ポロシェンコ大統領が租税回避地を利用していると指摘される(本人は節税対策を否定)など、政治も安定しているとは言えない。

他方、重大な国際法違反でありながら、ロシアによるクリミア編入はもはやほとんど既成事実と化しており、当地の原住民であったクリミア・タタール人の自治組織「メジリス」の活動が禁じられるなど、ロシア化の動きが進むばかりだ。

そして、ドネツク・ルガンスク両州が各々「人民共和国」としての独立を宣言し、さらに「ノヴォロシア人民共和国連邦」を結成したことなども背景にあって内戦に発展したウクライナ東部の混乱は、深刻化し、多くの被害を出した。

2014年7月にはオランダからマレーシアに向かっていたマレーシア航空17便撃墜事件が起き、多くのオランダ人を中心としたEUやマレーシアの人々の犠牲が出たことも大きな衝撃を呼んだ。

そして、2015年2月12日にベラルーシの首都ミンスクで調印されたいわゆる「ミンスク合意」(2014年9月にも一度、ミンスクで停戦が合意されたものの、間も無く合意が事実上破棄された経緯があったことから、本合意を「ミンスク2」ともいう)という停戦合意が成立した後は、徐々に戦闘が収まり、一応の小康状態を保っているものの、ウクライナの主権が「ノヴォロシア」に及ばない状況が続き、その法的地位問題が問われるなど未だ多くの懸案が残っている。

さらに、ウクライナの悲願であるEUやNATOへの加盟問題も現状では全く非現実的である。

ロシアの反対を制してウクライナとEUの自由貿易協定が2016年1月1日に発行したのも束の間、4月6日にはオランダで政治・経済面の関係強化に向けて調印したEUとウクライナの「連合協定」の是非を問う国民投票が実施され、圧倒的多数で否決されるなど(反対64%、賛成36%。投票率32%)、風向きは厳しい。