甲野 現代の教育の問題は、たくさんありますが、その中でも、教育機関にというより、親に対して一つ言いたいことがあります。
いじめによる子供の自殺が後を絶ちませんが、あれは親なり周囲の大人が子供に対し「学校に行かなくても人は人として生きていけるのだ」と自信を持って示していたら、子供もそんなに追い詰められないと思うのです。
大学が増えて誰でも大学に行けるようになったことで、大学という存在が「大学ぐらい出ていないと恥ずかしい」という見栄の対象になってしまっています。
人が生きているとはどういうことなのか。子供たちが育っていく過程でいかにそれに取り組めるか。これが教育において一番大事だと思います。そのためにも親が深い考えとまでは言わないですけれど、体感を通しての、「生きていく上での自覚」を持つべきですよね。
この事は本当はもっと厳しく問われるべきです。「子供が自殺したのだからそんなことまでは言えない」と思うから、みんな黙っているのかもしれませんが。
内田 いや、なかなか責められませんよ。「学校なんて行かなくていいよ」と親が決然と言っていたらなと思いはしても。
甲野 しかし、根本問題はそこですから、親が自分の中でそれなりの価値観をちゃんと持つべきだと思います。
内田 価値観がちゃんと確立されている親なんて、そんなにいるでしょうか?
甲野 いや、いないから問題なんですよ。
光岡 いまお話の「価値観」についてです。内田先生や甲野先生が言われたことは、私よりも若い世代であっても共感できると思います。「おっしゃるとおり」とみんな言うでしょう。
けれども、言われた通りにやることしか教わっていない中で20歳も過ぎてしまった。一切自分の価値を見出すということを教わったこともない。「じゃあ、私はこれからどうすればいいんですか?」と思う人は多いでしょう。
本宮ひろ志さんの『男一匹ガキ大将』とか『サラリーマン金太郎』を読んで、あの世界観に共感した世代は「がんばればいいんだ」「努力しろ」と言うんですよ。昭和の時代の象徴的な考えです。でも、努力しようがテロは起きたし、原発だって爆発したわけです。
あらゆる努力はした。その上での現状がいまです。そこからスタートしている世代が確実にいます。
この先、私たちはどうしたらいいのか? この問いを抱えている人たちの多さ。それが『暗殺教室』のような作品が世に出る理由でしょう。ですから、これに対しての答えを何らかの方法で提示しないといけない。