いま明かされるパナソニック社長交代劇の「舞台ウラ」
嗚呼、人事はかくも難しい
人事がおかしくなるとき、会社もおかしくなる 【PHOTO】時事通信フォト

「カリスマ」鈴木会長の後継者争いに揺れるセブン&アイ、創業者と経営陣が真っ向から対立したクックパッド、まだまだ親子対立の炎がくすぶる大塚家具……。内部抗争でグラつく日本企業は後を絶たないが、「経営の神様」松下幸之助が創業したパナソニックこそ、その最たる例だろう。

会社の命運を握るトップ人事は、誰がどう間違え、なぜねじ曲げられたのか。サラリーマンの共感を得たベストセラー『ドキュメント パナソニック人事抗争史』(岩瀬達哉・著)が、早くも文庫化。今回はその一部を公開する。

幸之助の“遺言”は、ある男への”引退勧告”だった――。

50億やるから口出しするな

皮肉なことに、パナソニックの今日の凋落を招いた人事抗争は、元をたどれば「経営の神様」とたたえられた創業者松下幸之助の“遺言”に起因するところが大きかった。

幸之助が他界したのは平成元(1989)年だったが、その9年前、当時の社長山下俊彦にこう命じていたからだ。女婿で、取締役会長の松下正治をなるべく早い時期に経営陣から引退させるようにと──。

山下と特別親しかった元副社長が証言する。

「幸之助さんは、山下さんに、ポケットマネーで50億円用意するから、これを正治さんに渡し、引退させたうえ、以後、経営にはいっさい口出ししないよう約束させてくれ、とまで言うとるんですな。この話、私、山下さんから直接聞きました」

幸之助のひとり娘、幸子の婿として松下家に迎えられた松下正治(大正元〈1912〉年生まれ)は、伯爵平田栄二の次男で、母親は三井財閥本家とも親戚筋にあたる上野七日市藩の藩主、子爵前田利昭の長女という華麗な家柄であった。

東京帝国大学法学部を卒業後、三井銀行(現三井住友銀行)に勤務していたが、昭和15(1940)年に松下家の養子となったのを機に、松下電器に入社。わずか10年足らずで副社長に昇格したのち、昭和36年には幸之助の後を継いで2代目社長に就任している。

幸之助が、「正治を経営から外すように」と、山下俊彦に命じた時点で、すでに社長、会長を19年の長きにわたって務めていた。

しかし山下は、正治に引退の引導を渡すことはしなかった。自身で渡すのではなく、後任社長への引継事項としたのである。