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1989年4月5日、センバツ決勝「上宮vs.東邦」
悲劇のピッチャー宮田正直は、その試合を覚えていない

甲子園「記憶を失ったエース」の物語
〔PHOTO〕gettyimages

取材・文/赤坂英一(ライター)

史上最大の悲劇と言われた'89年のセンバツ決勝。10回裏2死、目前で優勝を逃したエースは、その後も数奇な野球人生をたどった。『失われた甲子園』(講談社刊)を上梓した著者が描くエースのそれから。

後頭部をライナーが直撃

福岡ソフトバンクホークスの試合が始まる前、チームのジャージに身を包み、グラウンドで練習を手伝っている小柄な男がいる。コーチがノックをしている傍らで野手の返球を受けたり、投手のキャッチボールの相手をしたり。彼が投げる球は小柄な身体の割に独特の伸びがあり、元選手だったのかなと感じさせるが、その名前を知るファンはほとんどいない。

彼は宮田正直という。'90年秋、ドラフト外でホークスに入団した元投手だ。5年間の現役生活で一軍登板は一度もなく、'96年から打撃投手に転身、'08年からはチーム付きスコアラーとして働いている。主にバッテリーのため、相手打者の癖や傾向を観察、分析し、データを選手に伝えるのが彼の仕事だ。

メモを見せてもらうと、例えばある打者の場合、バント、バスター、エンドランでグリップの位置がどう違うか。走者一・三塁では三塁コーチャーの動き、疑似スクイズにも注意、といった細かな覚え書きが並んでいる。素人目には、とても理解できない。

「相手打者だけやなく、ウチの投手のほうもチェックしてます。キャンプ中からブルペンでビデオを撮りながら、顔や手足の動きだとか、投球動作のキー(鍵になる部分)がどういうところにあるかとか、そういうところを見てパソコンに入れておく。そんな癖が相手にバレる前に、データとして投手に伝えるんです」

これほど精緻な観察力と分析力を持つ人間が、自分の過去のこととなると途端に答えがあやふやになる。「どうやったっけ?」と首を傾げて言葉に詰まる。最近も高校生の娘に「お父さんの修学旅行はどこだったの?」と聞かれ、小中高とどこへ行ったのか、その場で思い出せなかった。

宮田は17年前、練習中の事故によって外傷性くも膜下出血を起こした。以来、記憶障害の症状が残り、いまも脳裡から青春時代の思い出がところどころ抜け落ちたままなのだ。