週刊現代
超高齢化社会の恐怖は戦争以上!?
「尊厳死」はこれほどまでに難しい

〔PHOTO〕gettyimages

死後の世界は「ある・ない?」

日本脚本家連盟創立50周年の記念事業も3月26日イイノホールでのシンポジウムで終わり、充分に役割を果たせたとは言い難いながら、これを機に4月20日付けで理事長を退くことにした。これからは脚本家、物書きとして仕事に専念して行こうと思う。

一昨年11月から12月、川崎市の老人ホームで頽齢の入居者たちが相次いで転落死させられた事件は、入居費は高額、介護職員は薄給の「格差の館」と呼ばれているこの有料老人ホームで働いていた23歳の元職員が犯人だった。

介護労働の過酷さによるストレスからなのか、徘徊を繰り返したり、入浴を拒むなど手のかかる入居者に対して発作的に犯行を重ねていたらしい。

詳しい動機の解明などは今後の捜査と分析を俟つしかないのだけれども、6階のベランダから未明の朧の中を落下して行きながら、86歳の老女の脳裏に一瞬、走馬燈のようにフラッシュバックするのはどのような光景だったのだろうか。

1963年公開の短編映画『ふくろうの河』を想い出す。縛り首の刑を受けた男が橋桁から吊されて河面に落下するまでの瞬間の意識を、ロベール・エンリコ監督は夢のような美しい映像で拡大して見せて、恐ろしい筈の刑死がまるで恍惚感に彩られた安楽死でもあるかのような錯覚に陥らされたものだ。そんな連想から、今回は死、特に安楽死に関する書物を読みたくなった。

死を笑う』は、心肺停止や呼吸停止で三度も死にかけたという中村うさぎさんと、鈴木宗男事件に連座して社会的に葬り去られるという意味での臨死体験をしたという佐藤優氏、ふたりの死生観を語り尽くす対談である。

両人とも死への恐怖は皆無であるとの前提ながら、死ねば只の死体となり生前の思考も感情も失われ、魂も存在せず無となるだけだと言う中村さんと、キリスト教ほかの宗教に造詣が深く、神は存在し死後は必ず天国に行くのだと断言できる佐藤氏とは極めて対照的だ。

人々の記憶の中に私という人間が多少は留まることはあるかも知れないけれども、私として中村派であることに間違いなく、人間が死ねば微生物に分解されて土に返るだけなのだと思っている。

しかし、死後の復活が信じられているキリスト教では肉体の死は単なる通過点でしかなく、オランダなどの信仰の強い土壌では、それ故にこそ医師による注射一本での安楽死や尊厳死を選ぶことに抵抗感が少ないのではないかとは佐藤氏の見解である。自身では実務家の看板を掲げながら、氏の博学、縦横無尽の思考の間口の広さには感服するほかはない。

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