高知のダメ支店を「日本一」に変えた、キリンビール営業マンの奇跡
「高知が、いちばん。」誕生秘話
2001年、キリンビールは国内シェア1位の座から転落してしまったが…… 【PHOTO】gettyimages

キリンビールの元副社長・田村潤氏が著した『キリンビール高知支店の奇跡』の売れ行きが好調だ。ビジネスマンを中心に読者を広げ、増刷を重ねている。

物語の舞台となるのは、アサヒスーパードライの大旋風にキリンが飲み込まれつつあった1995年。田村は、売上成績が全国最低ランクの「ダメ支店」である高知支店に、支店長として赴任するが、96年には県内シェアトップの座をアサヒビールに奪われてしまった。

「このままじゃダメだ」。危機感を覚えた田村は、高知支店から全国へと波及していく大改革を開始する。まずは、「高知限定広告」だ――。

同書の中から、高知の人なら誰もが知っている「あのポスター」の誕生秘話を公開する。

効かない広告、効く広告

一体どんな広告を作れば、高知の人たちに振り向いてもらえるのだろう…本社から予算をもらったはいいが、今まで経験したことのない県民向けの「直接メッセージ」をどうつくって発信したらよいのか。誰も経験がありませんでした。

当時の高知県の人口は約80万人。東京の世田谷区ぐらいの人口ですが、その人たちが世田谷区の約120倍もの面積に住んでいるのです。

使用したメディアは地元のラジオと新聞でした。高知に届くビールは岡山工場でつくっていたので、工場長を出演させたりして「岡山工場からできたての新鮮なビールを、こういう思いでつくって高知の方にお届けしています」というメッセージを送りました。

しかし、それは失敗に終わりました。数字はぴたりと動きませんし、毎日、居酒屋などで「キリンのラジオ広告、どう思いますか」とお客さんにヒアリングしてもまったく反応はありませんでした。

岡山工場でこんなに熱心にビールをつくっています、というメッセージは高知の人にはまるで響かなかった。高知県民にとってはそんなことはどうでもいい話で、メーカーのひとり相撲の広告となってしまったのでしょう。

残りは300万円。失敗したキャンペーンでわかったのは、高知の人に関心をもってもらうには、高知の人たちに向けてのメッセージだということが端的にわかる内容でなければならないということでした。そして、「キリンビールは高知の人を大切にしています」という意図が伝わり、喜んでもらうことを目的としようと決めました。

ある日、支店の高知出身の女性社員と昼飯を一緒に食べていたときに、「どうしたら高知の人はキリンビールを飲んでくれるのだろう」と相談しました。

すると彼女が言うには、「高知の人は自慢のうんちくを語りながら飲むのが好きなんですよ。何しろ、〝いちばん〟が大好きなんです」。そこで高知の人たちが好きな〝いちばん〟に関係するデータがないかを調べました。

高知は酒好きの土地柄。もともとひとりあたりの飲酒量が多い県ですが、20歳以上の人口のひとりあたりのラガーの瓶ビールの消費量が1年で30本ぐらいあり、全国で1位でした。これは全国平均の1.5倍にあたります。このデータを発見したときは、使えるのではないかと思いました。