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「20ミリシーベルト」に根拠なんかない
いい加減な、あまりにいい加減なこの国の安全基準

小佐古内閣参与はなぜ辞表を叩きつけたのか
週間現代

 本当は危険でも、安全と言ってきた原子力村。その住人だった彼までもが逃げ出した。しかも、涙を流して。ということは、どういうことなのか。政府は慌てて、彼の口を封じた。

彼こそ、放射線防護の第一人者

 もう政府の発表など、いっさい信用できない---そう思わせる、突然の内閣官房参与辞任劇だった。

 4月29日午後6時、衆院第一議員会館の会議室で会見に臨んだ、小佐古敏荘東京大学大学院教授は、悔しさのあまり涙ぐみ、言葉に詰まりながら科学者としてのプライドを示した。

「この数値(校庭利用基準の年間20ミリシーベルト)を、乳児・幼児・小学生にまで求めることは、学問上の見地からのみならず・・・私は受け入れることができません。

 参与というかたちで政府の一員として容認しながら走っていった(基準値引き上げを強行した)と取られたら私は学者として終わりです。それ以前に自分の子どもにそういう目に遭わせるかといったら絶対嫌です」

 これまでに政府は、原子力安全委員会などの「権威」を背景に様々な基準値を公表し、国民に対し「この数値以下の被曝であれば安全」とアナウンスしてきた。

 ところが、その内閣の一員だったはずの東大教授が、政府に抗議し、参与を辞任するという。小佐古教授が暴露したのは、政府の基準値がいかにご都合主義的に決められているか、という事実だった。乳児、幼児をはじめ国民への健康被害よりも、原子力行政を優先しようという国の姿勢はいまだに変わっていない。

 小佐古氏は震災後、菅直人首相が相次いで参与に任命した6名の専門家のうちの1人だ。自身も原子力工学の博士号を持ち、東京大学大学院生時代に小佐古氏に師事した空本誠喜代議士が、細野豪志首相補佐官を通じて参与に推薦した。

 専門は放射線安全学。政府が安全基準の参考にしているICRP(国際放射線防護委員会)の委員を'05年まで12年もの間務め、放射線被曝の安全基準値のグローバルスタンダードを決定してきた。

2011年3月25日のチェルノブイリ原子力発電所の近く〔PHOTO〕gettyimages

 枝野幸男官房長官は小佐古氏の会見の翌日、「小佐古氏は原子炉が主に専門とうかがっている」と弁明していたが、実際には内閣が参考にしている国際基準値を策定してきた張本人であり、日本における放射線防護の第一人者なのである。

「小佐古氏はずっとチェルノブイリ原発事故の研究をしていた人。他の参与には菅さんの母校の東工大関係者が多いのですが、放射線防護の理論では小佐古氏の右に出る人はいないでしょう」(民主党関係者)

〔PHOTO〕gettyimages

 ところが、結果的に小佐古氏はほとんど事故対策にかかわることができなかったという。

 参与就任以来、小佐古氏と行動をともにしていた空本代議士は、本誌に分厚い報告書を示した。

「福島第一発電所事故に対する対策について」と題された、A4用紙100枚にも及ぶその冊子。小佐古氏が、原子力災害を避けるため、3月16日の参与就任からおよそ1ヵ月半かけて寝る間も惜しんでまとめた渾身の報告書だ。

 しかし、この小佐古報告書にあるような提言を、官邸はことごとくないがしろにしてきた。

 その上、菅首相は、自身がブレーンとして任命したにもかかわらず参与就任の際に顔を合わせた程度で、小佐古氏と原発事故についてまともに意見交換することは一度もなかった。

 小佐古氏も手をこまねいていたわけではない。あらゆる手段で、提言実現のために動いていた。

 プラントに関する提言は細野氏に、放射線被曝に関する提言は福山哲郎官房副長官に上げることになっていた。もともと参与就任にも関与していた細野氏に伝えた意見は採用されることもあったが、福山氏に上げた内容はまるで聞き入れられなかった。

 それでも別ルートで、原子力安全委員会にも助言を続けたが、これもほとんど無視された。最終手段として、面識のあった班目春樹・原子力安全委員会委員長に直訴したが、にべもなかったという。

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