読書人の雑誌『本』
江戸初期にローマで司教になった日本人がいた!
その男の名は、ペトロ岐部カスイ

加賀乙彦『殉教者』
〔PHOTO〕gettyimages

文/加賀乙彦(作家)

エルサレムに渡った日本人

ペトロ岐部カスイという人物に興味を持ったのはだいぶ昔のことだ。1987年にカトリックの洗礼を受けてから、キリシタン時代の歴史に興味を持ちはじめ、あれこれ読んでいるうちにこの一風変わった人物に近づいていった。

当初は冒険家のように思えた。1614年2月の徳川秀忠の発したキリシタン禁教令以後、キリシタンは国外に追放と定められた。その年の11月には在日宣教師と高山右近らがマニラとマカオに追放された。

ところがこの大追放令に逆らって日本に滞在した人々がいた。斬首、火刑、迫害の危険を承知のうえで宣教を続けた人々である。ペトロ岐部はその一人であった。

殉教者の名前や行為を記録し世に伝えることをおのが使命と信じていた彼が、マニラに脱出したのは大追放より半年ほどたったころである。

彼の長途の旅が始まった。スペイン領のマニラからポルトガルの植民地を西へとたどる船旅である。マカオ、マラッカ、ゴア。ゴアはインドの西海岸の都市である。さてその先がわからない。

わかっているのは、彼が1619年に、つまり1615年の日本脱出の数年後にエルサレムに到着したことだけである。

ゴアからエルサレムまで旅をするのに二つの道が考えられる。

まずはインド国内のいわゆるシルクロードを西へ向かい、現在のイランに出る旅路だが、地図を見ただけで、遠路で難路である。そうではなく、アラビア海を船で渡ってポルトガル領のホルムズ島、アラビア半島のウブッラ(現在のアバダン)に行き、それから隊商の駱駝曳きに雇われて、砂漠の道を歩いてエルサレムに行くという道を大方の史書が推定している。