中国
中国vs香港、現実味を帯びる「独立論」〜若者はこうして大転換を起こす

民主化を求めた「雨傘運動」 〔PHOTO〕gettyimages


文/倉田徹(立教大学准教授)

2014年9月から12月にかけて、民主化を求める学生や市民が香港の主要道路を占拠した「雨傘運動」は、しばしば「北京の勝利」、「学生の敗北」または「失敗」と評される。

学生らが求めた「真の普通選挙」の実現について、運動は政府から一切譲歩を得ることなく収束し、2017年の民主化の実現は夢と消えたからである。

しかし、香港の政治情勢がこれによって安定化することはなかった。「雨傘運動」から1年余り、香港の若者の間では、香港の「独立」が真剣に論じられるようになり、今年2月には警察官と若者の激しい衝突も発生した。事態はむしろ、北京にとってより望ましくない方向に向かっているのかもしれない。

民主化問題から「独立」の議論へ――この急速な変化は、どのようにして起きていったのか。

「民主回帰」論の崩壊

そもそも香港には歴史上、有力な独立運動はほぼ皆無であったと言って良い。住民の9割以上は中国大陸にルーツを持つ華人であり、イギリスによる植民地統治の下にあっても、「香港は中国の一部」、「香港人は中国人でもある」というのが共通認識であった。

中国への返還問題が浮上すると香港市民の間では不安が高まったが、資本主義体制を返還後50年間現状維持し、香港に高度の自治を与える「一国二制度」の導入決定により、不安は緩和された。

香港市民の安心材料の一つとなったのが、中国政府が行った民主化の約束であった。1990年に北京が採択した「香港基本法」には、将来、香港行政長官の選挙を普通選挙とすることが目標として明記された。

民主的体制を持つ香港として祖国に復帰するという「民主回帰」の実現は、民主派や多くの香港市民の共通目標となった。北京と民主派の間には、天安門事件の評価などをめぐり鋭い対立が続いたが、少なくとも両者の間には将来的に基本法に基づいて普通選挙を実現することが共有されていた。

しかし、2014年8月31日、中央政府は行政長官普通選挙について、出馬できる候補者を北京寄りの政財界人等が圧倒的多数を占める「指名委員会」が事前に絞り込む方式の採用を決定した。

民主派や、民主派寄りの学生・市民はこれに「ニセ普通選挙」と激しく反発し、79日間も道路を占拠する「雨傘運動」を起こしたものの、北京の譲歩は引き出せなかった。

これにより、問答無用の態度で決定を香港に押しつける北京は交渉不可能な相手である――そういった認識が、香港の若者の間に広まった。西欧型のデモクラシーを断固として拒否する北京の姿勢を前に、「民主回帰」論は崩壊してしまったのである。

しかし、北京にとってその代償は小さいものではなかった。香港の若者がこれで諦めることはなかったからである。