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蓮實重彥がオススメ!
近代日本の「悲劇」に触れる傑作評伝『二葉亭四迷伝』

講談社文芸文庫・私の一冊

文/蓮實重彥

第一篇は坪内逍遙の名義で刊行された『浮雲』はいうまでもなく、早すぎるといってよい晩年の『其面影』や『平凡』のように「失敗作」ばかりを書き残して46歳で他界した二葉亭四迷は、はたして作家の名に値するのか。

46歳で『二葉亭四迷伝』を書き始めた中村光夫は、二葉亭が優れた作家であったかどうかにはほとんど興味を示していない。「今迄の批評家の型とは違ふ型の批評家になりたい」といい、「普通の文学者的に文学を愛好したといふんぢやない」という二葉亭がどのように文学を愛好したのか、あるいは愛好しそびれたかに中村の興味は集中し、そうした視点から「失敗作」の意義を問いただすことになる。

もちろん、二葉亭と言えば「言文一致」が問題となるが、その創始者の意義には、『浮雲』第三篇以前に発表されたツルゲーネフの『あひびき』と『めぐりあひ』の翻訳をめぐって、「彼の理解するロシア小説を『リプロヂュース』するにたる文体」が日本には存在していなかったから、「いやでもそれをつくりださねばならない」というかたちで触れられているにすぎない。

「二葉亭の翻訳態度は、……原作の『真相』をできるだけ直接に日本語に再生すること」にあったので、「外国小説を我国の小説を改良する参考として扱った逍遙との、文学観の根本的な相違」があるのだと中村光夫は書く。

二葉亭四迷伝』の意義は、「言文一致」の創始者の「失敗作」を、個人の問題ではなく、「近代日本の悲劇」として描きあげたことにある。

もちろん、内閣官報局、陸軍大学校、東京外国語学校、等々の職の辞任、朝日新聞ロシア特派員としてペテルブルグに赴き、帰国途上に他界するという「個人の悲劇」についても語られている。

だが、「理想を嫌悪する理想主義者、文学を否定する文学者」という二葉亭の姿勢は、多くの作家たちが描いた「個人の悲劇」を超えて、「近代日本の悲劇」に触れあう。それが悲劇的なのは、「失敗作」を通してしか実現しがたいものだからである。

「IN☆POCKET」2016年3月号より

蓮實重彥(はすみ しげひこ)
仏文学者、映画批評家。東京大学第26代総長。『夏目漱石論』『反=日本語論』『凡庸な芸術家の肖像』『「ボヴァリー夫人」論』他著書多数。