伊坂幸太郎×佐々木敦「面白い小説は"文学"ではないのか?」

エンタメと文学のあいだ
伊坂幸太郎, 佐々木敦
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伊坂 一方で僕自身は、筋だけ面白ければいいという小説にはあまり関心がないんですよね。もう少し、小説だからこそ表現できる何かというものに自覚的なほうがいいというか。

けれど、ストーリーにしか興味がないという人もいるんでしょうね。たとえば、ラストで主人公が奥さんと離婚したのが受け入れられない、これは駄作だ、みたいに。ストーリー展開によって、評価が10から0に下がっちゃう人もいるかもしれません。

佐々木 小説の中の出来事を現実のそれと同じような感覚で捉える人もいるかもしれないですね。

伊坂 読者としての僕は、主人公が離婚しないでいてくれたら良かったな、と思ったとしても、小説としての評価がそれで大きく変わりはしないんですよね。

佐々木 ストーリーよりも、それがどう描かれ語られているか、ということのほうが重要だということですよね。あらすじを端的に示すだけでは零れ落ちて消えてしまうものが、小説ならではの何かだと思うんです。

たとえば、叙述トリックの歴史に燦然と輝く綾辻行人さんの『十角館の殺人』(1987年)は、まさにたった一行で世界が変わる。だけど、その一行に至るまでの小説の運び方や語り方が複合的に作用して大きなサプライズが生まれるわけで、それを筋書きだけにしてしまうと、そこにあるはずの小説ならではの何かは成立しなくなる。

だから本来、筋と文体、言葉は、分かちがたく結びついているものだと思うんです。

伊坂 それが結びついた小説が、一番面白いですよね。筋で驚かせるだけの小説も僕は少し苦手なんです。

佐々木 2010年代はじめから、ただ最後にどんでん返しを作るためだけに書かれたような小説が目立つようになってきた。僕は、そういう技術の問題よりも、小説家が小説を書く衝動とか動機みたいなものに、より興味を覚えるんです。

伊坂さんの小説を読んでいくと、小説に対するこだわりが新作ごとに次々と鮮明に表れてくる。最新作の『サブマリン』でももちろんそれは表れていて、そういうこだわりこそが面白いと思う。次の小説も物語としての驚きをきっと見せてくれるだろうけれど、それだけじゃない何かがこの作家にはある、と思えるんです。

村上春樹との意外な関係

伊坂 僕は捻くれた十代を送っていたので、小説を読むにしても若いときはメジャーなほうにはいかなかったんですよ。

『ニッポンの文学』では村上春樹さんの小説についてもかなり言及されていますが、僕は村上さんの本、ほとんど読まなかったんです。他意はなくて、単にすごく有名だったので手が出しにくかっただけで。

佐々木 伊坂さんの『重力ピエロ』(2003年)は「村上春樹の文体で書かれたミステリ」と評されたのに、本人は村上春樹を読んでいなかったというのは面白いですね。

伊坂 僕はやっぱり大江さんの影響が大きいので。大江さんの初期の頃の小説とか、あからさまに影響を受けているんですよね。ただ、村上さんが訳されたジョン・アーヴィングの『熊を放つ』は好きでしたから、そういう方向からの影響もあったのかもしれませんね。

そうそう、僕がデビューした後、僕の妻が『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読んでいたんですね。その前にすでに『アヒルと鴨のコインロッカー』(2003年)を書いていたんですけど、小説の構造も近いし、ボブ・ディランの話も出てくる、と妻が教えてくれて。

そういえば『重力ピエロ』で村上春樹の二番煎じとも言われたから(笑)、読んだんですよ。そうしたら、これがもう、いや、僕がわざわざ言わなくてもみんな知ってるでしょうが(笑)、すごい作品ですよね、あれ。ですから、似ていると言われるのは申し訳ないです。

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