伊坂幸太郎×佐々木敦「面白い小説は"文学"ではないのか?」

エンタメと文学のあいだ
伊坂幸太郎, 佐々木敦

伊坂 しかも佐々木さんは作品にあまり注文をつけたりしないですよね。さかなクンも、魚に「もうちょっと早く動けよ」とか「この魚にこういう鰭があれば」とか言わないですし。

佐々木 粗探しが批評だと思われている部分もあるじゃないですか。でも、読者が弱点だと感じるところというのは、その作品にとって一見弱点に見せることによって可能にしている別の作用があるかもしれない、と常に考えますね。

粗探しは本当に簡単なんだけど、できあがった作品にそれをしても生産的ではないと僕は思うんです。

「エンタメは筋」で「文学は文体」?

佐々木 「文学」は、「読者のために書くものではなく自分のために書くもの」みたいな認識がどこかにあるじゃないですか。先ほど出た「独りよがり」という言葉も、「文学」の世界だとプラスに捉えられることもある。

そして、「エンタメは筋(ストーリー)」で「文学は文体」だという認識もどこかにあって、両者は漠然と対立している。

だから、筋がめちゃくちゃ面白い文学があったとしたら、その時点でそれは「文学」とは呼べなくなる。そんな矛盾をはらんでいる。

伊坂 そうなんですよ! そこに突き当たるんですね。

誰が読んでもめちゃくちゃ面白い物語を持った文学ってありえないんじゃないのかって、僕もよく思います。でも、それっておかしいだろ、とも思って。文学ってストーリーが面白かったらいけないの?って悩んじゃうんですよね。読みやすかったら文学にはならないのかな、とか。

ただ、たとえば音楽で、「この曲のリズムと音はこういう人たちがいてこういう歴史があって生まれてきたんだ」と解説されて、「なるほど」と分かってくる不思議な曲のほうが、誰が聞いても気持ちのいいメロディを持った曲より高度に思えるじゃないですか。

だから自分が小説を書いていても、ストーリーが万人にとって面白くなるほど、この小説は「文学」から確実に遠ざかっていくんだな、と考えたりもするんですよね。

いったい「文学」って何なんだろう、と。この問いは考えるほど興味深くて、正解はないから不毛なんですけど(笑)、いろんな人の意見を聞くのが好きなんですよね。

佐々木 そのまま裏返すと、「文学」は「面白くないけどありがたみはある」ものというふうにも読み取れてしまいますね。

伊坂 この問題は、佐々木さんが最近書かれたゴダール論(『ゴダール原論 映画・世界・ソニマージュ』、新潮社、2016年)を読んでいても思ったんです。

ゴダールの映画って最高に素晴らしいし、大好きなんですけど、僕、観ていて寝ちゃうときがありますし(笑)。映画としての素晴らしさっていったい何なのかな、と考えるというか。ああ、でもゴダールだったら筋をエンタメにしたとしても、名作になるような気がしますよね。そういう意味では、小説でもそれが可能なんですかね。

佐々木 そう思いますね。「筋の面白さ」vs.「文体の芸術」、みたいに「エンタメ」と「文学」の漠然とした対立があったとしても、本当は一緒のほうがいいに決まっている。なんで分けるんだよと。

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