デンマークのパイプ作家が脚光を浴びた理由――それはデトロイトの自動車業界人による「爆買い」がきっかけだった
島地勝彦×柘恭三郎&マレーネ・ミッケ【第2回】

撮影:立木義浩

第1回【天才ミッケの一人娘がなぜ日本に?

立木 マレーネ嬢は背が高いね。どれくらいあるの。

マレーネ 179センチ、です。

立木 ウソだ。180センチはあるでしょう。

 お父さんのヨーン・ミッケも180センチ以上はありましたからね。

シマジ 一般的に北欧の人はみんな背が高いですよね。

ヒノ 本当は180センチあるのに179センチというところが可愛いじゃないですか。マレーネ、新しくネスプレッソを淹れました。どうぞ。

マレーネ ありがとうございます。うん、美味しいです。でもパスポートには180センチと書いてあります。

シマジ やっぱりね。ところで、マレーネ、お父さまはどうしてパイプ作家になられたんですか?

マレーネ 父がはじめてパイプを作ったのは12歳のときだったと聞いています。ただそれは遊びみたいなもので、特に将来を見据えたものではありませんでした。

18歳からはコペンハーゲンの大学で6年間薬学を学び、薬剤師の資格も取ったのですが、結局、人に使われて仕事をするのが好きになれなかったそうです。

シマジ 孤高の人だからね。

マレーネ その後、どういう経緯かは分かりませんが、コペンハーゲンのシクステン・イヴァルソンの工房に弟子入りして、1年間パイプ作りの修行をしました。ところがその1年間は、マウスピース(吸い口)だけを作らされていたそうです。ですから、吸い口を作ることを父は凄く嫌がっていましたね。

自分用のパイプをいつも4,5本持っていましたが、吸い口は一つだけしか作らず、それを使い回していました。