週刊現代
いま知っておきたい田中正造「天皇直訴事件」〜切腹覚悟で臨んだ明治の男たちの気概
1895年ごろの足尾銅山の風景(photo:wikipediaより)

「お願いがござりまする」

西幸門前交差点は日比谷公園の角の大きな十字路だ。そこで115年前、田中正造(1841~1913年)の天皇直訴事件があったのをご存じだろうか。

1901(明治34)年12月10日のことである。明治天皇臨席のもと第16回議会の開院式が、日比谷公園の斜向かいにあった議事堂で行われた。

式が終わった午前11時すぎ、騎兵隊に守られた天皇の馬車が皇居に向け、議事堂を出立した。行列が西幸門前交差点を左折する、その瞬間、人垣から黒の紋服・袴姿の、ずんぐりした男が飛び出した。正造だった。

「お願いがござりまする。お願いがござりまする」

彼は直訴状を捧げ持っていた。騎兵がとっさに馬首を変え、正造の行く手を遮ろうとした。正造は身をかわそうとして前につんのめった。騎兵も馬もろとも転倒した。正造は警官に取り押さえられ、天皇の馬車は何事もなかったかのように通過した。

天皇への直訴は前代未聞の出来事だ。新聞各紙は争って号外を出し、直訴状全文を報じた。直訴状には、渡良瀬川流域の鉱毒の惨害が、古式に則った名文で生々しく描かれていた。

〈魚族絶滅し、田園荒廃し、数十万の人民産を失ひ、業に離れ飢て食なく、病て薬なく(中略)壮者は去て他国に流離せり。如此にして二十年前の肥田沃土は今や化して黄茅白葦、満目惨憺の荒野となれり〉

筆者は、後に大逆事件で刑死することになる幸徳秋水だ。彼は当時、都下一の部数を誇る万朝報の記者で、中江兆民門下の俊秀として知られていた。

その秋水の友人で、後にベストセラー作家になる毎日新聞記者の木下尚江は、直訴当日、銀座の毎日本社にいた。彼の回想によると、一人の若い記者が顔色を変えて飛び込んできた。

「今、田中正造が日比谷で直訴した」。居合わせた人々が異口同音に訊いた。「田中はどうした」。若い記者は「田中は無事だ。大勢の警官に囲まれ、警察署に連行された」と答えた。

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