なぜ北方領土問題はいまだ解決しないのか~日露関係を動かす「4つの提案」をここに示そう

岩下 明裕

日露関係の新たなシンボル

第2に一挙の免除が無理だとしても、試行的に地域など限定で緩和をしたらいい。例えば、北海道で稚内とロシア・サハリンのフェリー利用者にこれを導入する。

この日本で数少ない外国との直行の貨客航路は昨年をもって休止となり、稚内はいま50キロ先のサハリンと結ぶ道を失い、再び日本の最果てとして行き止まりになってしまっている。この航路を支援することは、日露関係のともしびとなるばかりか、行き止まりの国境地域に対する振興にもなる。

昨年、国境越えのツーリズム・ブームにのり、稚内からサハリンへ向かう日本人の数は、向こうから来るロシア人の数を久々に上回った。現在、稚内市と地元産業界でチャーター便による航路復活を模索している。このような地域の動きを日本全体で後押しする視座が重要だ。

第3にビザ相互免除と同時に、北海道のみならず、九州や西日本のロシアとの関係づくりを戦略的に行うことだ。実は博多の向こう側、釜山には多くのロシア人で溢れかえっている。空路も航路もウラジオストクなど極東と結ばれているからだ。

ビザが免除されれば、彼らはJR高速船ビートルで韓国人に負けないくらい九州や西日本に訪れるに違いない。それを見込んでか、ロシアには福岡に総領事館をつくる案もあるとされる。ロシアと日本の人流、地域交流のあり方が根本的に変わることが予想される。

第4に日露のシンボルとしての歴史の活用である。かねてから私は長崎県の対馬こそそれにふさわしいと訴えてきた。上対馬は釜山から50キロの距離だが、対馬沖海戦(日本海海戦)の場所でもある。ここには海沿いに、日露友好の碑がたち、殉死した5000名ものロシア兵士の名前が日本人と一緒に刻まれている。

その横にはそのとき漂着した兵士100名ほどを助けた、地元西泊の記念碑もある。国家間の戦争の結果がどうあろうが、地元の人々が敵の兵士を助け、いたわったという事実。これこそ第2次世界大戦の結果としていまだデッドロックの状態にある北方領土問題の重いイメージを乗り越えるための、恰好のストーリーだといえる。

数年前、バルダイクラブでプーチンと会ったとき、訪日の際に対馬に立ち寄ることを私は直訴した。西泊の人々は、毎年5月に慰霊祭を行い、昨年110周年にはロシア大使も祈りを捧げた。そして彼らはプーチンがこの地に来ることを強く願っている。

ボーダーに焦点を置くことで、地域と人々の観点から、国家が抱える難題にもこれを乗り越える新たな光を見出すことができると私は思う。

次回は、私たちが昨今、手掛けているボーダーツーリズム(国境観光)が、未解決の領土問題の存在でいまだ苦しむ根室を始め、日本の北や南の「辺境」「さいはて」にどのような希望を与えはじめているか、書いてみよう。

岩下明裕(いわした・あきひろ)
北海道大学スラブ研究センター教授、九州大学アジア太平洋未来センター教授。1962年生まれ。専門は国境学。九州大学大学院法学研究科で博士号取得後、山口県立大学国際文化学部助教授などを経て現職。著書に『入門 国境学 - 領土、主権、イデオロギー』、『北方領土問題―4でも0でも、2でもなく』(ともに中公新書)、『北方領土・竹島・尖閣、これが解決策』(朝日新書)、『国境・誰がこの線を引いたのか―日本とユーラシア』(北海道大学出版会)など多数。
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