私は“お雛さま”を泣かせっぱなしだった
~「幸田家の雛祭り」の記憶

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四季を彩る折々のたのしみ、日々の生活を豊かにする智恵。日本人が大切に守ってきた生き方がここにある。曾祖父・幸田露伴、祖母・幸田文、母・青木玉、そして筆者へと、幸田家4代にわたって脈々と受け継がれてきた幸田家のくらしへの向き合い方とこだわり。 

雛三代

文/青木奈緒(作家)

お雛さまの飾りつけ

小さいころ母(青木玉)は病弱で、しょっちゅう風邪を引いては熱を出していた。

二月の風が冷たい日、母にとっての父方の祖母が暮らす隠居所からおふゆさんというお手伝いさんがやって来る。新川のお祖母様が火鉢で気長に炊いたという金柑の砂糖煮を、おふゆさんに託してくださったのだ。

「お咽の痛いのがよくなるように、これを召しあがったらいかがでしょう、とおっしゃっておいででした。早くお元気になってお雛さまが出せたらようございますね」

ところが、母はなかなかよくならない。自分も一緒にお雛さまの飾りつけをしたいと、一日延ばしに待ってもらっていたが、ついに時間切れで祖母(幸田文)と母の乳母であるきねやばあやのふたりでお雛さまをだすことになった。

母の寝ている隣りの座敷からは、祖母とばあやが出たり入ったり、忙しそうな立ち居の気配だけが聞こえる。そこへ行って手伝うことはできなくとも、せめて眺めていたいと母は思うのだが、身体を起こしてまた熱があがってはいけないと祖母に言われ、ひとり布団の中でじっと耳をすませている。

さっと襖が開いて、顔をのぞかせた祖母は、お雛さまを飾る活気にあふれている。母のお雛さまは八段飾り。大人ふたりで飾っても、段をつくって毛氈を敷いて、ほぼ一日がかりの作業になる。

「もう上から三段を飾ったよ」

戻って行きかけてふと思い直し、祖母は寝ている母のところまでやって来ると、ひょっとおでこに手をあてる。「熱はあがってなさそうね」とつぶやいて、そしてまた行ってしまう。ひとり残されて、母はつまらない。

障子には明るく陽がさしているが、風で小枝がゆれる様子が写っている。そこへ、メジロだろうか、小さな鳥の影が一羽、追っかけてもう一羽、枝から枝へちょんちょんと飛び交って、束の間いたかと思うと、二羽一緒にさっと飛び去って行った。