チェルノブイリ事故の「その後」から、いま私たちが学ぶべきこと
あれから30年
事故から30年を迎えるチェルノブイリ原発。放射性物質の飛散を防ぐため、現在もコンクリートの石棺で覆われている〔photo〕gettyimages

文/森本麻衣子(カリフォルニア大学バークレー校)

ある被災者の戦い

1996年のある日、ウクライナの首都・キエフの郊外にある放射線研究センター(仮名)にリタ・ドュボアが入院してくる。

56歳のリタは、かつてチェルノブイリ原子力発電所の中央ゲートで守衛として働いていた。1986年4月26日の爆発事故があった翌朝に出勤し、防護服も与えられないまま、数百メートル先で原子炉が粉々に崩れ落ちていくのを見たという。

1996年のこの時点で、リタはウクライナで定められた障害者二級のステータスを持っていた。ひと月に米ドル換算で約75ドルの障害者年金を受け取って生活しているが、その半分が医療費に消えるという。

このときの入院は、事故の直後に急性放射線症(ARS)の診断を受けた(その後取り消された)ことを根拠に、障害者二級のステータスを一級に格上げしてもらおうと、彼女が続けている戦いの一手だった。

心臓の痛みを訴えてARS病棟で点滴治療を受けつつ、リタは院内に設置された「医療労働委員会」(障害者申請の査定機関)で自分の症例を再検討してもらえるよう、病棟長を説得しようとしていた。

障害者一級ステータスがもらえれば、年金支給額が大幅に増える。リタが離婚した前夫(重度のアルコール中毒だった)とのあいだにもうけた息子は、チェルノブイリ爆発事故の数年前まで同原発で働いており、職場での放射線事故が原因で両目を失明していた。(こちらの事故はもみ消され、彼は解雇された。)自分の年金が増額されたら、二人の子供を抱えるその息子の援助をしたいとリタは考えていた。

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リタ・ドュボアは、このほど出版された『曝された生(せい) チェルノブイリ後の生物学的市民』(アドリアナ・ペトリーナ著、人文書院刊)に登場する実在の(あるいは実在した)人物の一人だ(リタに関する記述は184〜196頁)。

同書は、現在ペンシルベニア大学で人類学(専門は医療人類学、東欧地域研究)の教鞭をとる著者によって、1992年から2000年にかけて断続的に行われたフィールドワークにもとづき書かれたエスノグラフィー(民族誌)である。2002年にプリストン大学出版から刊行された原書が2013年に同じ版元から新しい序文を加えて再版され、このたび日本語に訳されたという経緯がある。私は縁あって訳者の一人としてかかわった。

そこに描かれているのは、めまいがするほどの混乱、そして、そのなかを医療記録片手に、自ら学びとった生物学・医学の知識をよりどころに泳いでいこうとする被災者の姿である。