週刊現代
大津波が残した「被災地」もう一つの姿
~東北は死者と生者との距離が近い?

120年前と通じること
Photo:iStock

120年前の津波で妻を失った男は……

柳田国男の古典的名著『遠野物語』には、明治29(1896)年6月の三陸大津波にまつわる話が書き留められている。

―岩手県の盆地・遠野から田の浜という海辺の村に婿入りした男がいた。名を福二という。

福二は、田の浜に押し寄せた津波に妻と子と屋敷をさらわれた。その後、生き残った二人の子とともに、以前、屋敷のあった場所に小屋をかけて1年ばかり暮らしていた。

夏の初めの月夜、福二は用足しのため起きた。便所は小屋から離れた所にあり、そこへ行く道も波の寄せる渚にあった。

その夜は霧が出ていた。福二は、途中で霧の中から男女二人が現れてくるのを見た。女はまさしく亡くなった妻だった。

福二は思わず二人の跡をつけた。はるばると船越村のほうへ行く岬の洞穴の前まで追って行き、そこで妻の名を呼んだ。妻は振り返り、ニコッと笑った。

もう一方の男を見ると、やはり田の浜出身で、津波に呑まれて死んだ者である。福二が婿入りする前、妻と互いに心を深く通わせていたという男だった。

妻は「今はこの人と夫婦になっています」と言った。福二は「子供は可愛くないのか」と訊いた。妻は少し顔の色を変えて泣いた。福二は死んだ人と話しているということを忘れ、まるで現実のように悲しく切なくなり、うなだれて足元を見た。

その間に、妻と男は足早に立ち去り、山の陰に隠れて見えなくなった。福二は追いかけようとしたが、二人は死んだのだと気づいて思い止まった。それから福二は夜明けまで道でずっと考え込み、朝になって家に帰った。その後、福二は長い間、悩み苦しんだという―。

哀切な話である。とうてい作り話とは思えぬリアリティがある。たぶん福二は夢うつつの状態で、実際にこうした心的体験をしたのだろう。妻の霊が本当に現れたのかどうかは問題ではない。120年前の津波が人々の心に残した傷の深さを私たちが実感できればそれでいい。

では、5年前の3・11の津波は何を残したろう。『震災編集者―東北のちいさな出版社〈荒蝦夷〉の5年間』(土方正志著・河出書房新社刊)にこんな話が載っているのを見つけた。

〈 三陸沿岸のある町。町といってももはやそこにはなにもない。津波に呑まれた見渡す限りの荒野である。高台に仮設の住宅があり、商店がある。その仮設住宅に、幽霊が現われるのだという。この町に暮らして津波に呑まれたおばあちゃんの幽霊だ 〉

その幽霊は仮設の知人を訪ねてくる。お茶と漬け物でもてなす。このあたりで「お茶っこ飲み」という。近所同士が集まっての茶飲み話だ。おばあちゃんが「さて」と立ち去ってみれば、座布団がじっとり濡れている。

ああ、そういえば「あのおばあちゃん、津波で死んだんだっけな」……。一軒だけではないそうだ。おばあちゃんは知り合いの仮設にたびたび現れる。

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