賢者の知恵
2016年03月21日(月) 週刊現代

ほめられたら要注意!?
京都人の「ウラとオモテ」を楽しむ

世界の中心は「京都御所」

週刊現代
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〔PHOTO〕gettyimages

「いけず? ちゃいます、ちゃいます。何事も、角が立たんようにするのがよろしおすやろ」—京都人の内面は、なんとも複雑怪奇。でも、知れば知るほど味が出てくる。さあ、覗いてみよう。

東京に「下る」と言う

京都人。およそ1億2700万人の日本人の中でも、彼らが最も「ウラとオモテ」を使い分けるのに長けた人々であることは、間違いない。

京都の街が、たまに訪れるだけの観光客にはなかなか味わい尽くすことができないように、かの地に住む人々もまた、「よそ者」に気を許そうとはしないし、めったなことでは本音など表に出さない。それらしき言葉が出てきたとしても、十中八九は「いけず」である。

そんな心性を、当の京都人が「告発」した新書が異例のロングセラーとなっている。京都市にある国際日本文化研究センター副所長・井上章一氏が、昨年9月に著した『京都ぎらい』(朝日新書)だ。

井上氏のもとには、京都人からの反響が続々届いている。

「この本を出した後、洛中の人たちにこう言われました。『あなたの書いたことは事実だが、それが何か問題なのか』『いろいろ言いたいことはあるかもしれんけど、やっぱり嵯峨は京都やないでしょ』と。きっと、怒っているんでしょうね」

『京都ぎらい』は、京都のみならず全国で話題となり、2月には今年度の「新書大賞」にも輝いた。

京都市西部の嵯峨で育った井上氏は、長じるにつれて、ある違和感を抱くようになったという。それは京都市中心部——すなわち「洛中」の人々が、同じ京都市民であるにもかかわらず、どうも嵯峨のような「洛外」の人々を見下しているらしい、ということである。

学生時代、研究のため洛中のある名家を訪ねた際の体験を、井上氏はこう記している。氏が、その家の当主(故人)と話していたときのことだ。

〈「君、どこの子や」たずねられた私は、こう答えている。「嵯峨からきました。釈迦堂と二尊院の、ちょうどあいだあたりです」この応答に、杉本氏(注・当主)はなつかしいと言う。嵯峨のどこが、どう思い出深いのか。杉本氏は、こう私につげた。「昔、あのあたりにいるお百姓さんが、うちへよう肥をくみにきてくれたんや」(中略)そこに揶揄的なふくみのあることは、いやおうなく聞きとれた〉

関西圏以外の住人は、

「洛中も嵯峨も、同じ京都としか思えない」

「寺社がたくさんあって紅葉もきれいな嵯峨は、いかにも京都らしい場所だと思っていたのに」

といった感想を抱くのではなかろうか。

だが、「本当の京都と呼べるのは洛中だけ」というのは、関西、少なくとも京都府内においては常識に属すること。それどころか、「京都市の中でも中京区だけが洛中」、さらに「室町幕府の『花の御所』があった地域だけが真の洛中」という「過激派」の京都人さえいるという。

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