『あさが来た』広岡浅子だけじゃない 名門女子大を作った“豪傑”たちをご存じですか?日本女子、津田塾、、東京女子、東洋英和、聖心、フェリス

2016年03月22日(火) 週刊現代

週刊現代賢者の知恵

upperline

女子大とキリスト教

日本女子、津田塾と並んで名門とされる東京女子大学(東京都杉並区)は、二人の教育者の友情によって誕生した。

旧5千円札の肖像画として知られ、同学初代学長を務めた新渡戸稲造と、2代目学長を務めた教育者、安井てつの二人だ。

「パリ万博の審査委員のために渡仏していた新渡戸は、イギリス留学から帰国途中の安井と偶然出会いました。同じ思想をもった二人はすっかり意気投合。後に、安井は友人に向けた手紙の中で、新渡戸のことを『スピリチュアルフレンド』と記すほどの信頼関係を築いたそうです」(東京女子大学総務課)

その後、日本で教派を越えたキリスト教大学を作ろうという気運が高まり、大正7(1918)年に、6つの教派を母体とする東京女子大学が創設される。そこで初代学長として白羽の矢が立ったのが、熱心なキリスト教信者で国際的な活動が認められていた、新渡戸だった。

一度は固辞した新渡戸だったが、安井を学内の実質的な責任者である学監にすることを条件に承諾。一方の安井も新渡戸が学長になることを条件に要請に応じた。

この二人を陰で支えた意外な人物もいる。後に駐日米国大使として活躍するエドウィン・ライシャワーの父、オーガスト・ライシャワーである。

「常務理事として財政を担当していたライシャワーは2万6000坪もの校地購入の際、不足している23万円のカネをかき集めるために奔走し、支援団体から援助を取り付け、窮地を救います。彼はその後も、新校舎の整備など、経営面で大きな活躍を果たしました」(前出・東京女子大学総務課)

このように日本の女子大を語る上で、キリスト教の存在を無視することはできない。明治維新後、数々の欧米諸教会がミッションスクールを作り、それが女子大となったケースが多いからだ。

たとえば、東京都港区にある東洋英和女学院。'14年に放送された朝ドラ『花子とアン』のヒロイン村岡花子の出身校としても知られ、現在では東洋英和女学院大学の運営も行っている。

同学院は、明治17(1884)年に当時のカナダ・メソジスト教会婦人伝道会社から宣教師として派遣されたマーサ・カートメル女史によって開設されたミッションスクールだ。

校舎も特徴的で、長年、鳥居坂のシンボル的存在として親しまれた旧校舎を設計したのは、アメリカ出身の建築家ウィリアム・M・ヴォーリズだった。彼は宣教師でありながら、医薬品の「メンソレータム」を日本で広く普及させた実業家としての顔ももつ。

実はこのヴォーリズ、浅子とも非常に縁深い人物であることをご存知だろうか。

ヴォーリズの妻・一柳満喜子は、浅子の娘婿・恵三(劇中では東柳啓介として工藤阿須加が演じる)の妹。つまり浅子とヴォーリズは縁戚ということになる。当時は華族の娘が外国人と結婚するなど、許されない時代。浅子はその二人に救いの手を差し伸べ、結婚のために一役買ったと言われている。

次ページ 皇后美智子さまの母校も
前へ 1 2 3 4 次へ

このエントリーをはてなブックマークに追加 RSS
関連記事

最新号のご紹介

underline
アクセスランキング
1時間
24時間
トレンドウォッチ