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『あさが来た』広岡浅子だけじゃない
名門女子大を作った“豪傑”たちをご存じですか?

日本女子、津田塾、、東京女子、東洋英和、聖心、フェリス
女子高等教育の志を持った成澤〔PHOTO〕NHKホームページより

劇中では「あさ」をはじめ、色々な傑物たちが女子大創立に尽力する。だが、史実はもっと面白い。言わずと知れた有名人たちが関わった名門女子大の成り立ちは、学生じゃなくても知っておきたい。

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大ヒットとなっている朝ドラ『あさが来た』。その第1回の冒頭で登場した、日の出女子大学校の壇上に立つヒロインあさ(波瑠)を覚えているだろうか。事業家として名を成したあさが、最後の大仕事として選んだ「女子大学校設立」のシーンが、これからいよいよ描かれる。

とはいえ、劇中で言われている通り、あくまでも創設者は成澤泉(瀬戸康史)で、あさは支援者にすぎない。今回ドラマにならなければ、史実でも、日本女子大の創設者・成瀬仁蔵に広岡浅子という強力な支援者がいたことは一般に知られることはなかっただろう。

広岡浅子という生き方』の著者で作家の永井紗耶子氏が、当時の女性教育の難しさを語る。

「明治時代の法律では、原則として男性しか『戸主』になることができず、女性は経済活動も相続もできない『無能力者』とされます。女性は『娘』『妻』『母』としてしか存在できなかったのです。

そんな中で、女子大を設立するのは相当ハードルが高かったでしょう。男性でも大学に行く人が少なかった時代、ましてや女子大なんて普通は考えられません。それらの壁を越えるためには、支援してくれる有力者の存在は不可欠でした」

浅子は女子大の設立に向けて、成瀬とともに政財界の「大物」たちに協力を要請する。初代総理の伊藤博文や"最後の元老"西園寺公望、「日本の資本主義の父」と呼ばれた実業家・渋沢栄一と錚々たるメンバーが並ぶなか、東京専門学校(現早稲田大学)を設立した実績を持つ大隈重信にも、発起人になるよう求め、これにより計画は大きく前進することになる。