"どん底"のトヨタ社長を支えた、あるテストドライバーの「遺言」〜人を鍛え、クルマを鍛えよ
トヨタ再生の物語
〔photo〕gettyimages

文/稲泉連

豊田章男を語るうえで、欠かせない人物がいる

今年1月、トヨタ自動車はグループ全体の販売台数で、4年連続の世界1位となった。このニュースを見たとき、豊田章男と彼の「運転の師」と呼ばれたテストドライバーの物語を書いていた私は、いくつかの思いを抱かずにはいられなかった。

『豊田章男が愛したテストドライバー』の取材を始めた5年前、今では経営者として高く評価され始めている豊田は、社長就任からの1年目を逆風の中で過ごしていた。

59年ぶりとなる最終赤字、レクサスの暴走事故に端を発する品質問題と米公聴会への出席、その後も東日本大震災やタイの洪水が重なり、トヨタのトップとなったばかりの彼を見つめる社内外の視線は厳しかった。

そのなかで彼には社長就任以来、どのような状況においても発し続けてきたメッセージがあった。それが近年の同社のキャッチフレーズとなっている「もっといいクルマづくり」というシンプルな言葉だ。多くの課題に対処する際、彼はこの言葉を常に中心において経営について語り、自らの心の支えとしてきたところがある。

しかし、考えようによっては抽象的なこのような言葉を、豊田はなぜ繰り返し語り続けてきたのだろうか。社内からもメディアからも「数字を語らない」と批判を受けながら、それでも「台数は結果」と言い続けてきた確信は、どのような体験から導き出されたものだったのか。

また、豊田が力を入れてきた活動の一つに、「ガズーレーシング」を母体としたレース活動がある。当時は小さなサークルに過ぎなかったガズーレーシングはいま、WECやラリー、耐久レースなどのモータースポーツ活動を担う部門として、テレビCMでもその名前が登場する大きな取り組みとなっている。なぜ、豊田はこの活動にそこまで力を入れるのだろう。

それらの背景を知ることは、豊田という経営者の人物像や経営観を知る上で、決して欠かすことのできない条件だ。

そのカギを握る人物がいる。彼の「運転の師」と呼ばれ、2010年6月に開発テスト中の事故で亡くなった、成瀬弘という老練のテストドライバーである。

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