被災地の仮設住宅で増える「孤独死」〜取り残される高齢者、広がる自立格差

東北の5年を歩く【第1回】
宮古市田老町の仮設住宅。400戸あまりのうち、入居世帯は半数以下になっている

取材・文/松本創

大防潮堤の町から届いた訃報

彼の訃報が届いたのは2014年の大晦日だった。

「世界一の巨大防潮堤」で知られる岩手県宮古市田老町の、津波で根こそぎ流された中心部から車で15分ほど離れた仮設住宅。山あいに400戸あまりが並ぶプレハブ住宅群の一室で、その日の朝、亡くなっているのが見つかったという。

59歳の元市役所職員。どうやらお酒が原因らしい、最近とても痩せて心配していた、と知人からのメールにはあった。仮設住宅での、いわゆる「孤独死」だった。

後にわかったところによれば死後3日、直接の死因は急性心臓死とのことだった。『ふたつの震災』の取材を通じて彼と面識があった私にとって、その死はショックだったが、驚きというものではなかった。そういうこともあるかもしれない、と予感させるところが彼の表情や言葉にはあった。

宮古市の田老総合事務所(旧田老町役場)へ最初に彼を訪ねて行ったのは、東日本大震災から8ヵ月後の2011年11月のこと。

合併前の町役場時代、広報担当として活躍した彼は、村が全滅に近い被害を受けた昭和8年(1933)、明治29年(1896)をはじめ、それ以前からずっと津波との闘いを宿命づけられてきた田老の歴史に精通していた。少し取っつきにくいところはあるが、この地で生きてきた者の矜持と、ある種の諦念を含んだ彼の話は興味深かった。

長年コツコツと調べてきた田老と津波の歴史を、いずれ本にまとめるのが彼の夢だった。だが、大防潮堤を乗り越えて町を襲った「平成の大津波」に、自宅も、史料や書きかけの原稿もすべて流され、狭い1Kの仮設暮らしを強いられていた。

町では防潮堤を14.7mに増強する計画とともに、住宅を高台へ移転する話が進みつつあったが、彼はあくまで個人的な意見と断ったうえで、こんなことを言った。

「高台の土地を取得・造成し、家を建てるには5年以上かかるでしょう。仮設住宅には今、1000人ほど住んでいますが、4割近くが65歳以上。私の両親は88歳と84歳で、冷たい風の吹きつける山あいの環境にまだ慣れない。そういう人たちが高台の整備を待てるのか。私は、仮設から葬式は出したくない……」

高さ10mから14.7mにする工事が進む大防潮堤。元市役所職員の自宅は、すぐ足元にあった

次に会ったのは2012年8月。彼は震災から1年が過ぎた3月末に早期退職し、独りで仮設住宅にこもるようになっていた。

表情に生気がなかった。本を書くために退職したが一向に筆が進まない、酒を飲んでも眠れず、昼夜逆転の生活になったと力なく笑った。同じ仮設の別棟に住む両親を、病院や自宅跡に作った菜園に車で送り迎えするだけが数少ない外出だという。生活再建の目途も立っていなかった。

「海に近い元の場所に家を建てたいけど、危険区域に指定されて、できなくなった。高台移転の話が進んでるけど、そこには住みたくねえ。今は様子見だ」

虚ろな言葉とともに吐き出すため息に、かすかなアルコール臭が混じる。かける言葉が見つからなかった。

その後もう一度、田老を訪ねた時には会えなかったが、時々知人から伝え聞く話では、彼がみるみる衰弱していくのがわかった。ひどく痩せてきた、杖をつくようになった、最近姿を見ない……。悪い予感が募っていたところへ、あの訃報が届いたのだった。

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