アジア「代理出産」ビジネスの行方~命を求めて、海を渡る人たち
インドのサロガシーハウス(代理母寮)の代理母たち © Miho Hirai 

過去十数年の間に「代理出産」は、一部の州で認められているアメリカではなく、3分の1ほどの価格で依頼できるアジア諸国に舞台が広がった。代理出産を取材し続けた筆者による、およそ13年にわたった「インド代理出産」をめぐる渾身ルポルタージュ(第三回)

文・写真/平井美帆(ジャーナリスト)

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依頼主との人間関係が皆無

アメリカとインドの代理出産を比較して、双方での仲介経験がある日本人業者はこう漏らした。

「アメリカでは高額な医療費、さまざまな法規制や契約問題に頭を悩ませてきました。それにアメリカは、代理母にどう感謝するかが求められる代理母主義の国なんです。そういうのが好きな人はいいですが、インドでは代理母と親密なつき合いは発生しません。感情移入は一切なく、子宮を貸してくれるだけ」

代理母主義、というのは本来正しいあり方である。代理出産の主役は、出産のリスクを冒して、自分の身体を使う女性でなければならない。

インド代理出産で抑えられたのは、コストだけでない。

代理母となる女性の持つ権利も、だった。

歴史的背景からくる封建制、貧困、格差、識字率、女性の人権……。双方の国では社会的環境の相違が大きい。しかも、インドでは法整備のないまま急速に市場が拡大したことから、ノウハウの蓄積もなく、代理母を守るセーフティーネットもない。代理母が実際には何歳なのか、適切に報酬を受け取っているのか、詳しいプロセスの説明を受けているのか――すべてはベールに包まれていた。

アメリカ人代理母ならば、自分の夫や子どもと離ればなれになって、集団で管理下に置かれるなど考えられないだろう。また、アメリカでは代理母と依頼主は面談してから契約を結び、その後も定期的に連絡を取り合うことが勧められる。生まれた子どもを引き渡したあとも、代理母と依頼主夫婦が連絡を取り合い、ときには長期的な家族ぐるみの交流に至ることもある。

ところが、インド人代理母たちは、依頼した人物が「誰」かすら、ろくに知らされていない。

代理母と依頼主が対等な関係を築けない世界――これこそが急増したインド代理出産の実態である。「産みの母」の人権を十分に尊重しない出産の先に、子どもの幸せはあるのだろうか。知らぬ誰かの犠牲のうえに成り立つ命では、生まれてくる子は重い課題を背負わされる。