賢者の知恵
2016年03月13日(日) 森田浩之

「相撲は国技」はフィクションだ
〜そこにひそむ「ナショナリズム」の正体とは?

琴奨菊フィーバーから考える

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大関・琴奨菊は自身初の綱取りを狙う Flicker: Some rights reserved by chti_suisse

 
文/森田浩之(ジャーナリスト)

日本出身力士が優勝することの意味

大相撲3月場所(春場所)の最大の見どころは、なんといっても「大関・琴奨菊の綱取りなるか」だろう。日本出身力士が横綱に昇進すれば、じつに若乃花以来18年ぶりだという。

1月場所で、琴奨菊は初優勝を果たした。日本出身力士の優勝は2006年1月場所の栃東以来、ちょうど10年ぶりのことである。テレビはニュース速報を流し、新聞は号外を出した。そのほとんどは「琴奨菊が初優勝 日本出身力士で10年ぶり」といった見出しだった。

キリのよさも手伝ってか、琴奨菊の「初」優勝より日本出身力士の「10年ぶり」の優勝であることが圧倒的なニュースになった。SNSでも多くの人が「やっぱり相撲は日本の国技だからな!」などとつぶやいた。

大相撲で日本出身力士が優勝すると、私たちはどうして「安心」するのだろう? 相撲が日本の「国技」だから? それともほかに理由があるのだろうか?

その答えのヒントは、1月場所千秋楽、NHKの中継に解説者として出演していた元横綱・北の富士が、琴奨菊の優勝が決まったときにもらした次のことばの中にある。

「まあ、われわれもね、やっとこの、念願かなってね、なんともいえない気分ですけどね」

北の富士の言う〈われわれ〉とは、いったい誰なのだろう?

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