スゴ本の広場
2016年03月20日(日) 松井浩

イチローより速く1000本安打!
伝説の大打者・榎本喜八と「天才左打者」の系譜

イチロー、前田智徳、青木宣親、そして秋山翔吾へ

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榎本喜八の打撃フォーム。当時はまだヘルメットではなく帽子だった

 

今年1月に「遅すぎる」野球殿堂入りを果たした、大打者・榎本喜八。毎日オリオンズなどで活躍し、イチローよりも速く1000本安打を達成した輝かしい実績もさることながら、往年の野球ファンの語り草ともなってきた美しいフォーム、そして奇矯な言動にまつわる噂とで、榎本という名前は、長年にわたって「伝説」となってきた。

このたび、その実像を初めて描ききった『打撃の神髄 榎本喜八伝』が、ついに文庫化。その刊行を記念し、榎本に発する「天才左打者」の系譜を著者が語ります!

 

榎本とイチローに共通する、柔らかくしなやかな打撃フォーム

榎本さんの自宅へインタビューに通ったのは、1996年から98年にかけてのことだった。月に一度のペースで訪ねては、榎本さんの生い立ちや現役時代のことを聞いた。その頃、プロ野球ではオリックス・ブルーウェーブに在籍していたイチローが、球界を代表するバッターとして君臨していた。

プロ3年目の1994年に史上初のシーズン200本安打(210本)を達成すると、翌年には阪神・淡路大 震災から復興をめざす神戸のシンボル的存在となり、「平成の安打製造機」と呼ばれるようになった。

「昭和の安打製造機」と異名をとった榎本さんに、当時、「イチローを見て、どう思いますか?」と尋ねたら、即座に返ってきたのは「彼はスター様だからね」という言葉だった。パ・リーグでいくらヒットを重ねても、人気のセ・リーグの陰でほとんど日の目を見なかった時代の選手らしい答えだと思った。

私がインタビューした頃の榎本さんは、60歳をすぎてもうプロ野球を熱心には見ていなかった。テレビ中継も日本シリーズを見る程度で、人気選手の名前くらいは知っていたが、そのバッティングについて批評することはなかった。

ある日、リビングの棚に飾られた沢山のトロフィーを見て「アッ!」と驚いた。

「これ、榎本さんですか?」

大毎オリオンズ時代の1960年、首位打者を獲得した時に贈られたトロフィーを前に、「これ」と指差したのはトロフィーの先端についたバッター像だった。

「それ、私。作ってくれたの」

テイクバックの一瞬がリアルに表現されていた。私は、絶頂期の榎本さんの打撃フォームについては、限られた写真でしか見たことがなかった。

「榎本さん、こんなに柔らかいバッティングフォームをしていたんですか。榎本さんも、イチローのようにしなやかなフォームだったんですね」

そう言うと、榎本さんはニコッーと笑った。

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