国家とは、戦争とは? 問い続ける書物の力強さと重み
リレー読書日記・堀川惠子

朝鮮人BC級戦犯

数年前、シンガポール郊外にある日本人墓地を取材したことがある。二葉亭四迷の巨大な碑や、からゆきさんの墓標が並ぶ敷地の奥に、二メートル四方の塚があった。戦後、BC級戦犯として裁かれ、絞首刑に処された日本人、百数十人の遺骨が葬られた場所だ。葬儀や慰霊祭もせず、人目を避けて墓地の片隅にまとめて埋められたというが、ここで言う「日本人」の定義が問題である。

内海愛子著『朝鮮人BC級戦犯の記録』を読んで、物淋しい塚の風景を思い出した。本書に登場する李鶴来さんは、英豪によるシンガポールの戦犯裁判で死刑判決を受けた。本来なら、あの塚の下に「日本人」として眠っていた人だ。

朝鮮半島が日本の植民地だった昭和17年(1942)、李さんは17歳で日本軍の軍属となる。タイとビルマ(当時)の間に軍が敷設していた泰緬鉄道沿線に送られ、連合軍捕虜の監視にあたった。敗戦後は捕虜虐待の罪に問われるも、死刑執行の直前に減刑され一命を取り止める。

本書によると日本のBC級戦犯のうち、朝鮮や台湾出身者が7・3パーセントにのぼる。軍の末端で働かされた彼らの悲劇は、日本の戦争責任を負わされたことだけに終わらない。

昭和26年のサンフランシスコ講和条約以後、李さんたちは「韓国人」となった。だが昭和31年まで獄中に置かれ、「外国人」であることを理由に、日本人には与えられた補償も受けられず、身ひとつで獄から放り出された。仲間の多くが困窮に瀕し、親日協力者と批判されて祖国にも帰れず、自ら命を絶った者もいた。

苦労の末に日本で会社を興した李さんは、生活に困ってはいない。妻や子孫にも恵まれた。だが90歳になった今も、日本政府に謝罪と補償を求める闘いを続けている。

「日本人」として処刑されていった仲間、「外国人」として見捨てられた同胞の存在が胸にある。本書は、あの戦争において加害者でもあった私たち「日本人」に向けられた告発の書だ。