関東大震災の真実に涙が止まらない!
~90年間”抹殺”されていた「奇跡の物語」

全壊の横浜刑務所で何が起きたのか
関東大震災によって全壊した横浜刑務所の煉瓦造りの外塀と、舎房


文/牧村康正(フリージャーナリスト)

「3.11東日本大震災」で被災者の人々が見せた秩序ある行動と利他の精神に世界中が感嘆し、「絆」という言葉が再認識された経緯は記憶に新しい。

しかし、さかのぼること約90年前の大正12年(1923)、関東大震災の渦中に、横浜で「究極の絆」を結んだ人々の物語を知る者はいないだろう。なぜなら、この奇跡の物語は長らく歴史から抹殺されていたからである。

作家の坂本敏夫氏は30年の歳月をかけてその史実を掘り起こし、感動のヒューマン・ノンフィクション『典獄と934人のメロス』を著した。

被災地に解き放たれた囚人934人

吉村昭氏の名著『関東大震災』でも触れられることのなかった史実について、坂本氏が知ることになるのは、震災で瓦礫の荒野と化した相模原から横浜の根岸までの悪路40キロあまりを6時間で駆け抜けた一人の女性と出会うことから始まる。

その女性とは、福田サキ。本書の主人公である。昭和47年(1972)2月の取材当時、68歳。物語の舞台は、横浜刑務所。サキの実兄は、冤罪でとらわれて受刑者となっていた。

関東大震災では、震源地が近い神奈川県は、帝都東京を上回るほどの甚大な被害を蒙った。中心部の横浜にいたっては、世界への大玄関であった横浜港に野積みされていた膨大な石炭が燃え、石油が爆発炎上して、火炎地獄と化す。

当時の横浜刑務所典獄(てんごく・刑務所長のこと)は、弱冠36歳の椎名通蔵(みちぞう)。典獄としては初の東京帝国大卒だった。未曾有の激震によって、外塀はなくなり、舎房などが全半壊、38名の死者、多くの重軽傷者を出した。さらに猛火が迫る状況下で椎名は、囚人全員の「解放」、つまり身体の拘束をすべて解いて放免する緊急避難を断行する。

大正12年9月8日午前6時半、受刑者たちを集め、名古屋刑務所移送について訓示する椎名典獄(写真右、一段上に立つ白い制服姿)

ただし解放囚は、24時間以内に、戻らなければならない。いったい何人戻ってくるのか――解放に反対した幹部職員たちの危惧をよそに、囚人たちは、一人また一人と帰還を果たすのだが、なぜこの機に逃走することなく、そして帰還後、彼らは、なぜ、過酷な救援活動に自ら従事したのか。さらにこうした記録がなぜ歴史から消されなければならなかったのか――。

坂本さんの祖父・森元桃隆(もりもとももたか)(昭和10年小菅刑務所の会計主任当時)

坂本家は祖父から三代続く刑務官一家。宿命ともいえる本書のテーマと出会い、坂本氏は執念の取材を続け、その謎を解き明かした。さらには、刑務所の中の実態、司法省(当時は、裁判所、法務当局、刑務所行政は一体)の役人たちの権力争いといった背景に迫る一方で、主人公・サキを筆頭に、危機に動じない刑務所幹部の妻たちなど、大正期の女性の美しさ、たくましさを坂本氏は生き生きと描き出す。

数あるエピソードのなかでも、当時18歳だった福田サキが、無実の囚人だった兄・福田達也の身代わりになって横浜刑務所へ出頭する事実に、鮮烈な光を当てる。兄の信頼を守るため危険な荒野を走り抜ける少女の姿は、まさに太宰治の「走れ、メロス」そのもの。そして、帰還を信じる典獄のもとに、阿鼻叫喚の被災地に解き放たれた囚人934人の「メロス」は、もどってくるのだろうか。