賢者の知恵
2016年02月29日(月) 岡本亮輔

「世界遺産」は期待されすぎ!?
岩と虚構で成り立つ「首里城」、定番スポットの光と影

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首里城・正殿


文/岡本亮輔(北海道大学准教授)

空の青に映える朱色の建物。

初めて沖縄を訪れた人の多くは、首里城に行くだろう。併設された地下1階と2階にまたがる巨大な駐車場は、大量の観光客が訪れることを物語っている。

首里城は、建築様式や細部のデザインに至るまで本土の城郭とは大きく異なり、琉球が独特の文化圏であることを体感させてくれる。そして、ほとんどの人は、そうした独自性があるからこそ、首里城は世界遺産だと思っているのではないだろうか。

一方で、城内に入ると、なんとなく違和感を抱く人もいるはずだ。

消失前の姿がわからず復元された

観光客は順路にしたがって資料展示室がある南殿から入り、最も重要な正殿(せいでん)を抜け、出口のある北殿に至る。

正殿の装飾の見事さには目を奪われるが、全体的にとにかく綺麗すぎる。床だけ見ていると、リフォームしたばかりのスーパー銭湯のような雰囲気の場所もある。

南殿に展示される宝物も見事だが、そのほとんどが複製だ。世界遺産と言えば、古くから連綿と受け継がれてきたものが登録対象になるのではなかったのか。

首里城が最初に作られたのは14世紀末頃と推定されている。だが、詳細は不明だ。誰が作ったのかも分かっていない。その後、数百年間、何度も火災で焼失してきた。

現在の首里城の原形となったのは、18世紀初頭に再建された時のものだ。しかし、その時の正確な姿も分かっていない。

1879年、琉球処分によって、琉球藩が廃止され沖縄県が設置される。この時、首里城に明治政府軍が駐留することとなり、軍隊の用途に合わせて改造されてしまう。本来なかった場所に窓が作られたり、壁が取り払われるなどしたようだ。

その後も荒廃は進み、取り壊しも検討された。だが、建築家・伊東忠太などの働きかけで、正殿は沖縄神社の社殿に流用することでなんとか保存され、旧国宝に指定された。しかし、第二次大戦で、決定的に破壊されてしまう。

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