「最強」とはなにか。日本人で初めてムエタイ王者になったキックの鉄人に聞いてみた

【最強さん、いらっしゃい!】
細田 マサシ

親父は町一番の暴れん坊

藤原 あのね。首から下って鍛えれば鍛えるほど強くなるの。で、首から上って、殴られたら殴られただけ弱くなるんだよ。俺、殴られるの大嫌いなんだよ。女にビンタされるのも嫌で(笑)。ボクシングの試合とか見ていて、顔が変形する試合とかあるじゃない。あれは絶対嫌だなとずっと思っていたの。だから、足は徹底的に鍛えたけど、顔だけは絶対に打たれまいと、フットワークは変則なものにしてみたんだ。

──独特な動きですもんね。
藤原 あれはね、数字の8を横にして(∞)それを頭でなぞって書いているの。そうすると出たり入ったりするでしょう。相手が目標を定められなくなるんだよ。だからパンチが当てられない。

──オフェンスとディフェンス、両方とも凝っていますね。
藤原 根が凝り性だから、徹底的に追求しないと気が済まないのよ。だから10時間もかかるのは当然とはいえば当然。

──なるほど……まあ、今日は「最強・藤原敏男の世界」ということで、昔の話も聞いてみたいんですが、子供の頃はやっぱりガキ大将だったんですか?
藤原 全然。喧嘩なんか一度もしたことがなくて。

──ホントですか! キックボクシングを始める前の格闘技の経験は?
藤原 これも全然ない。人を殴ったこともなければ格闘するなんて全く縁がない。出身は岩手県宮古市。炭鉱の町でさ。炭鉱夫だった親父は町一番の暴れん坊だったんだよ。でも俺は一度も殴られたことがなかったの。スポーツも小中学校は卓球で高校はテニス。

──イメージと離れますね(笑)。
藤原 でもどっちも、その後の格闘技に随分役立ったと思う。なんといってもステップと俊敏さが身についたからね。あと、親父が狩猟をやっていてさ。

──あ、お父さんにくっついて見ていたと。
藤原 いや、俺も撃ってたよ(笑)。

──ええ!
藤原 毎年11月15日が、忘れもしない狩猟の解禁日。そこから親父と一緒に猟に出かけるんだけど、あるとき『撃ってみろ』っていきなり銃を渡されて。重かったよ。小学校一年だったから(笑)。

──そんな頃からですか(笑)。
藤原 「なあ敏男、雉というのは、動きが素早くて……」って一応指南はされるんだけど、でも結局は自分の感覚が頼みなんだよ。それで瞬間を見計らって「それっ」「ズドーン」って。あの経験で動体視力が確実に養われたと思う。でも将来の猟師になりたいとか全然思ったことない。設計士になりたかった。「世界一の設計士になろう」と。

──その都度意外ですね。
藤原 それで高校の頃、親父に「設計士になりたいから大学に行きたい」って言ったら「悪いけどウチには大学に行かせる余裕がない」って言われてさ。それで高校を卒業して、まず大阪に行ったんだ。