元「闘うフリーター」、日本の格闘技の未来を語る【所英男・特別インタビュー】

岡田 真理

漂流時代

HERO’Sに出場する前は、ファイトマネーだけでは生計が立てられず、携帯電話の通話を止められたり、家賃を10ヶ月も滞納したりしていたという。アルバイトをするほかなく、所が清掃員として働く姿や、「魔裟斗選手はこんなの食べないですよね」と言いながらコンビニ弁当を食べる様子がテレビでも放送された。

「当時、僕は『闘うフリーター』と呼ばれていたんですけど、それで覚えてくれる人も結構いましたし、僕自身その呼び方には愛着もあって、とても気に入っていました。ただ、宇野薫さんと対戦(2005年9月)した後にアルバイトは辞めたんです。格闘技で食っていけるという確信があったんですよね。でも、ファイトマネーはその後もすべて両親の口座に振り込まれて、毎月仕送りという形で決まった額をもらっていたので、生活レベルが劇的に変わったということはありませんでした」

その後、所をスターへと育てたHERO’Sは消滅。新格闘技イベント「DREAM」が誕生し、所も主戦場をそちらに移した。また、2011年には自身の格闘技ジム「リバーサルジム武蔵小杉 所プラス」をオープン。しかし、2010年の大晦日を最後に格闘技イベントの地上波放送は終了。以降、格闘家が日本でスポットライトを浴びる機会は激減していった。

「でも、決して人気がなくなったわけではないと思っていました。K-1のヘビー級が全盛期だった頃とか、僕がHERO’Sに出ていた頃は、人気が凄すぎたんだと思います。だから、人気が安定した、定着したということなんじゃないかなと僕は思っていました。人気が低迷しているという感覚は個人的にはあまりなかったですね」

しかし、当時は所自身も辛抱の時を迎えていた。テレビ格闘技がなくなった今、競技者として世界的にトップの団体に出て上を目指したい――。その舞台は、予てから憧れていたアメリカ最大の格闘技イベント「UFC」と決めていたのだが、土壇場でうまくいかず、夢は叶わなかった。

「アメリカで試合をしたいという思いが強かったんですけど、その夢を絶たれてどうしようかなと思っていたとき、一緒に練習をしている先輩が格闘技団体を立ち上げたんです。そこのイベントに出ていたら、アメリカのベラトールという団体から声を掛けてもらって。海外ではもう無理かなと思っていたので、本当に嬉しかったですね」