雑誌
『あさが来た』広岡浅子、本当にこんなスゴい実業家だったの?
〔PHOTO〕NHKホームページより(以下同)

〝五代様〟が退場しても、あいかわらず視聴率24%超と、その勢いは衰えない『あさが来た』。洋装に身を包み貫禄さえ出てきたあさを支える、ボンボン夫の新次郎も社長に。こんな夫婦、本当にいたの?

大正時代の新聞によると

「おあささまみたいに女だてらに自由勝手に漕ぎ出す船なんか、いつ難破船になって海の底に沈んでもおかしくなかったんです。そないにならへんかったのは、ご先代様や新次郎様、今井のご両親やようけのお方のお導きがあってのことだす」

女中うめ(友近)に、こう諭されてヘコむ、あさ(波瑠)。うめが言うように猪突猛進のあさは危ない橋をいくつも渡ってきた。まもなく、あさは生死の境をさ迷うことになるのだが……。

ブームを巻き起こした師匠の〝五代様〟こと五代友厚(ディーン・フジオカ)が死去し、『あさが来た』の物語は後半に入った。白岡あさは、ハイカラなドレス姿で加野銀行の陣頭に立つ。その姿は貫禄十分の女実業家という風情だ。

それにしても、あさの活躍はすさまじい。幕末に大名から貸金を取り立てて嫁ぎ先の加野屋を救い、炭鉱経営に乗り出し、ついに銀行に生まれ変わらせた。そのモデルである広岡浅子という人物は、本当にこんな凄腕の女経営者だったのだろうか?ドラマを見ていると、あらためてそんな疑問が沸いてくる。

実情は、どうやらドラマ以上であったらしい。広岡浅子の訃報を伝える『婦女新聞』大正8年1月24日の記事では、こんなことが書いてある。

〈尾張屋銀行の峯島喜代子刀自と、神戸の鈴木商店主米子刀自と、広岡女史とは、一時女富豪の三幅対と称せられたものであるが、前二人は共に最初より良い番頭を得て事に任じ、自ら陣頭に立たなかった。ひとり広岡女史に至っては、経営上の計画も自ら立案し、指揮官にして同時に闘将であった〉

いやはや、訃報で「闘将」と書かれるとは、そのすさまじさが窺える。その一方、〈家運挽回に奮闘した歴史は、永久に我が婦人界に語り伝えられるだろう〉とも絶賛されていた。訃報記事の書かれた大正8年に、加島銀行は1億4000万円の預金を有したという。浅子は一から「メガバンク」を立ち上げたのだ。

ドラマの中で、あさは大番頭だった雁助と延々と「銀行にする」「しない」で議論を繰り返した。読者には両替商と銀行はそんなに違うのか、と思った人もいたのではないか。

同作で時代考証をつとめる大阪大学名誉教授の宮本又郎氏が解説する。