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清原和博の「黒い人脈」と転落〜警視庁組対5課はずっと見ていた

暴力団にムシられ、最後は「売られた」
週刊現代 プロフィール

銀座や北新地のクラブには、なだめ役の『清原付』のホステスが必ずいました。私が知ってる新地の子は、他のお客と揉めそうになると『キヨちゃん、やめとき』と言って店の外に連れ出す。清原は『知らん奴にメンチ切られた』と中学生のヤンキーみたいなことを言っては、しょっちゅうブンむくれていました」

'08年に引退し、唯一の拠り所であった野球がなくなると、清原は自分の「尊厳」を保つためか、ますます黒い人脈を広げていった。

京都に勢力を張る「崇仁・協議会」の川村眞吾郎会長が語る。

「'09年、二つに分かれていた崇仁・協議会が統合されることになり、京都のホテルでパーティを開催しました。それに先立って、山健組幹部の永野一雄國竜会会長から『うちのオヤジ(井上邦雄・現神戸山口組組長)の名代として、ビッグネームで花輪を送らせてもらいます』と言われたんです。そして届いた花輪には、清原和博の名前がありました」

さらに、元山健組の構成員もこう証言する。

「本人から直接聞いたんですが、高山さん(清司・六代目山口組若頭)と飲んだことがあると言っていました。5年ほど前の話で、三宮のクラブです。その時は、司さん(忍・六代目山口組組長)の息子さんが清原さんの大ファンで、ぜひ会いたいとせがまれたみたいです。清原さんは、『息子を味方につけたら、強いでぇ』とニヤついてました」

ヤクザが、それも大幹部が、何の目的もなく、有名人と「友達」になることはない。利用価値のある男だと思われているのも知らず、清原は尻尾を振って近づいていき、ムシられ続けたのか。

この頃すでに、彼の身体はシャブ漬けになっていたのだろう。以降、分別ある40代とはおよそ思えない、「奇行」が目立つようになっていく。

'09年6月のことである。本紙は、妻・亜希氏ではない女性と海外旅行に出掛けていた清原に、帰国後、事情を聞くべく直撃。すると、おもむろに近づいてきた清原は、本誌記者を睨みつけ、こう説教したのだ。

「お前は子供に背中を見せられるか?こんな仕事をして背中を見せられるんか?俺は子供に背中を見せられるぞ。仕事なら俺が紹介してやる。なあ、真っ直ぐに生きようや、オイ!」

 

元妻は知っていた

さらに'14年頃には、親しい球界関係者の間でも、「清原さんの様子がおかしい」と囁かれ始めた。

「夜中に突然電話してくるんですが、ろれつが回っておらず、何を言っているかまったく聞き取れなかったことがよくありました。酩酊してるというよりラリッてる感じでした。あの人は酒を飲んだら暴れますが、人を『シバくぞデブ』とおちょくったり、その場にいない人を『ボケェ』と罵ったりするくらいで、意識ははっきりしてましたから」(在京球団関係者)

あまりにも異様な清原は敬遠され、解説やテレビ出演といった仕事は激減。'14年8月に亜希氏との離婚が成立し、養育費の支払いなどが発生したことも重なったのだろう。現役時代に稼いだ生涯年俸総額51億円は底をつき、愛車をネットオークションに出品する始末に。