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「マイアミの奇跡」が日本サッカーを一変させた〜アトランタ五輪の栄光とその後の堕落

2016年02月14日(日) 田崎健太,スポーツコミュニケーションズ
[PHOTO] getty images

1996年夏、アトランタ五輪代表が日本に戻った日の成田空港は大騒ぎだった。

到着ロビーの2階通路まで二重三重の人垣ができ、500人を越える人間が待ちかまえていた。揃いのスーツを着た松原良香たち五輪代表の選手が姿を現すと、一斉にカメラのシャッターの音がしてフラッシュが焚かれた。

松原たちは、想像していた以上に日本では騒ぎになっているのだと、思わず顔を見合わせたという。

アトランタでブラジル代表を破ったことは、松原たちの扱いを変えた。サッカースクールに呼ばれ、指導すれば数十万円の金が懐に転がり込んできた。松原は20歳そこそこで、年俸数千万円を貰っていた。そこにあぶく銭が加わったのだ。

松原は当時をこう振り返る。

「ちやほやされて、勘違いをする部分もありましたよ。ぼくはオリンピックでゴールを決めたわけでもなかった。ブラジルに勝ったのは事実でしたけど、ぼくの力じゃない」

清水エスパルスの練習が終わった後、着替えて、タクシーで東京に向かうこともあった。静岡から東京までタクシー代は10万円を越える。それをもったいないと思ったことはなかった。金は湧いてくるものだと思い込んでいた。渋谷で友達と落ち合い、朝まで酒を飲み、都内のホテルに泊まった。

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