賢者の知恵
2016年02月12日(金) 週刊現代

前田智徳ロングインタビュー
「あなたがいたから、プロで24年やれました」

元広島スカウト宮川孝雄氏に捧ぐ

週刊現代
upperline
〔PHOTO〕wikipedia

来た球を無心で打つーー。究極の打法を求め続けた職人には、球界に尊敬する恩師がいた。大けがを境に、ガラスの天才打者と惜しまれた広島OBの前田智徳が、今はなき人への思いを語る。

涙が止まらなかった

微笑む宮川さんの遺影がすぐに涙でゆがみました。1月13日、北九州市内の斎場で執り行われた葬儀で、宮川さんがスカウトした北別府(学)さんや、現監督の緒方(孝市)さんの弔辞の間、僕も心の中で宮川さんと、初めて会った時のことからずっと話し続けました。

葬儀で初めて会ったアマチュア球界の方から、こんな昔話を伺いました。

「前田さんが甲子園に出たとき、宮川さんは隣でこうつぶやいていたんです。『とにかく、打つな。頼むから打つな』と。甲子園で打つとカープ以外の球団からも注目される。どうしても欲しかったんでしょう」

改めて宮川さんの「一途な愛」を実感し、胸がジーンときました。

前田智徳(44歳)。名門・熊本工業から'90年にドラフト4位で入団。2年目から卓越した打撃センスに加え、俊足、強肩の外野手として頭角を現した。

その卓越した打撃技術は、落合博満やイチローから「天才」と認められる。しかし、入団6年目の'95年に右足アキレス腱を断裂してけがとの戦いを強いられ、「ガラスの天才打者」と惜しまれて、2013年に24年間の現役生活を終えた。

その前田を獲得したのが宮川孝雄スカウト(後に村上と改姓)だった。1月8日、心不全により79歳で死去。代打で活躍し、通算代打安打187本は現在も日本記録として残る。九州地区担当スカウトに転身後、選手の将来性を見抜く眼力で、津田恒実(故人)、緒方孝市など、のちに広島の屋台骨を支える選手を獲得した。

次ページ 第1希望はダイエーだった
1 2 3 4 5 次へ

このエントリーをはてなブックマークに追加 RSS
関連記事

最新号のご紹介

underline
アクセスランキング
1時間
24時間
トレンドウォッチ