どうなる?「2045年問題」
最先端の人工知能に対する人間の存在価値は何か

脳科学の研究成果を取り入れた「ディープ・ニューラルネット」あるいは「ディープラーニング」と呼ばれる最先端のAIは、人間と同じように、「何かを学んで成長する能力」を持っているという。その能力を「機械学習」と呼ぶのだそうだが、これはもう、AIが行うことを人間が全て掌握するのは無理、と言っているのと同じではないかと、読んでいてちょっと青ざめた。

これでは、2045年など待たずして、人工知能が意識を持ち始めてもおかしくなさそうだ。

人工知能はぼんやりするか

AIが意識を持ったらどうなるのだろう、いったいどんな意識を持つのだろう、と想像を逞しくすることは、小説家という職業柄、楽しくもあり恐ろしくもあるのだが、それを考えているうちに、私たちの意識や心ってそもそも何なのだ? という出発点とも言える問いに、結局は戻ってしまう。

前回、この連載で紹介した『意識はいつ生まれるのか 脳の謎に挑む統合情報理論』において、脳がどういう状態にある時に私たちに意識が生じるかが明らかにされたわけだが、別のアプローチで、心とは何か、という問いに迫っているのが『意識と無意識のあいだ 「ぼんやり」したとき脳で起きていること』である。

最初に紹介した2冊の本を読む限り、今後の急速なAI技術の発達により、人間の脳で起きていることを、コンピュータで再現することは可能になるだろう、と思わざるを得ない。それに抵抗したがっている生身の人間としての私がいるわけだが、本書を読んでいて、コンピュータやAIの研究者が考えているようには、そう簡単にはならないかもと、少しだけ希望が見えた気がした。

本書のキーワードである「マインドワンダリング」とは「ぼんやりした心」のこと。ふと気がつくと、目の前の仕事のことを忘れて別のことを考えていた、というような状態だ。その「さまよう心」を出発点として、記憶や言語の発生、物語の意味、眠りと夢や創造性などなど、読者を心の探究の旅にいざなってくれる。

本書を読み進めながら、ぼんやりすることがなさそうな人工知能には心など宿らないに違いない、と密かに安堵した私だったが、いや待てよと、大事なことを忘れていたのに気づいた。AIが意識を持つ日がやって来るとしたら、おそらくは、私たち人間のそれとは似ても似つかぬものに、言い方を変えれば、私たちには理解不可能なものになるに違いない。

くまがい・たつや/'58年、宮城県生まれ。東京電機大学理工学部卒業。'97年『ウエンカムイの爪』で小説すばる新人賞を受賞。'00年『漂泊の牙』で新田次郎文学賞、'04年『邂逅の森』で山本周五郎賞、直木賞を受賞した。『リアスの子』『微睡みの海』など著書多数

※この欄は中島丈博、堀川惠子、熊谷達也、生島淳の4氏によるリレー連載です。

『週刊現代』2016年2月20日号より